キラリ vol.186 片方だけの靴下
ずっと前に出席した結婚披露パーティーで聞いた話を紹介しようと思う。
そのパーティーは友人知人だけを集めて開かれたもので、新郎は僕の大学のゼミの先輩だった。特に親しい先輩ではなかったけど、僕と同学年のゼミ生全員がその先輩と仲がよかったため、僕もまとめて招待されることになったのだ。
スピーチをしたのは、新郎の友人の男性だった。それは少し風変わりなスピーチで、「彼(つまり新郎)はかつて日常的に靴下の片方をなくしていたそうです」という話から始まった。普通に生活していて、ふと気づくとなぜか片方の靴下が見当たらなくなっていることが何度となくあったというのだ。
とはいえ、彼は几帳面とはとてもいえないタイプだし、どうせほかの服に混ざっていたり、洗濯機の裏に落ちていたりするのだろう。話を聞いたその友人がそう言うと、彼は自分でもそう思って部屋中を隅々まで探し、マンションのベランダ下の地面もくまなく捜索したが、消えた靴下は1枚として見つからなかったと言った。とにかく理由も何もわからないまま、いざ履こうとすると片方の靴下が忽然と姿を消している、というのが彼の言い分だった。
最初のうち、彼はそのことをさほど気にも留めていなかった。でも靴下がなくなり始めて半年ほど経った頃、彼は新卒で就職した職場になじめず退職し、さらに学生時代から付き合っていた恋人が去ってしまうという悲しい出来事が重なり、自分の人生の先行きに不安を覚え始めていた。
そうしたこともあって、いつしか片方の靴下がなくなり続けることが彼の心に影を落とし始めた。なぜ必ず片方の靴下だけがなくなるのか? なくなった靴下はどこにいったのか? 小さな謎が徐々にストレスとしてのしかかり、そのうち靴下の入った引き出しを開けることが重荷にすらなっていた。
ところがそんなタイミングで、消えた靴下のうちの1つが彼の目の前に現れた。マンションの1階に住む女性が、なくなったと思っていた片方の靴下を届けてくれたのだ。なんのことはない、干してあった靴下が階下のベランダに落ちたのだ。だがなくなった靴下が出てきたのは初めてのことだったし、気分がふさぎがちだった彼はそのことに大きな意味を見出したのかもしれない。その後、2人の間には様々なことがあり、その女性は彼の結婚相手になった(つまり新婦だ)。
スピーチで紹介された2人のなれそめはそこまでで、靴下についてそれ以上の話はなかった。でも僕の頭にはいくつかの疑問が残った。靴下専門のワームホールでも存在しない限り(しないと思うけど)、室内にある靴下が跡形もなく消えるはずはない。ということは、全部ではないにしても一部は階下のベランダに落ちたと考えるのが普通じゃないだろうか? だとしたら、なぜ彼の未来の奥さんはそれまでは靴下を届けず、その時になって初めて届けようと思ったのだろう? しかも、絶妙ともいえるタイミングで。
だから僕はその疑問を直接、彼女にぶつけてみた。みんなで新郎新婦の座る席にあいさつに行った時にそっと新婦に聞いたのだ。彼女は少し驚いた様子を見せたが、新郎がこちらの話を聞いていないとわかるとほっとした顔をしてから、「静かに」というように人差し指を口の前に立ててにこりと笑った。結局、それで話はうやむやになり、それ以上は聞けずじまいだった。
でも実を言うと、彼女は気づいていなかったけれど、その時、新郎は僕の顔をちらっと見てかすかにほほ笑んでいたのだ。まるで「そのことは知らない振りをしてるんだ」とでもいうように。
その後、先輩とは疎遠になってしまったが、今でも彼らの結婚生活が平穏に続いていることは聞き知っている。おそらく今でも、2人を結びつけた半分だけの靴下の秘密をお互いに抱えながら、うまくやっているのだろう。それも何だか不思議なものだけど、夫婦とはそういうものだと言われれば、赤の他人がそれ以上言うべきことはないのかもしれない。
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Written by 桜井徹二
語学系出版社での雑誌・Webサイトの編集業務、フリーの映像翻訳者を経て、現在はMTCに所属。映像翻訳ディレクターとして、MTVやBBC作品を始めとしたドラマ、ドキュメンタリー、リアリティ番組やMOOC(大規模オンライン公開講座)用字幕などのディレクションを手がける。
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[JVTA発] 発見!キラリ☆ vol.185
日本映像翻訳アカデミーのスタッフが、月替わりのテーマをヒントに「キラリ☆と光るヒト・コト・モノ」について綴るリレー・コラム。同じ目標を見つめる修了生・受講生にたくさんのヒントや共感を提供しています。