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やさしいHAWAI’I
『ついに見つけたヨコヤマさんのルーツ』

やさしいHAWAI’I <br>『ついに見つけたヨコヤマさんのルーツ』

※前回までのエピソード
1973年からハワイ島のヒロで暮らすことになった扇原さんが家族のような付き合いをしていたリチャード・ヨコヤマさんの一家。しかし、ヨコヤマさんは1998年に他界。その後、扇原さんはヨコヤマさんの甥ジョージから、ヨコヤマさんが生まれた町ニウリイ(ハワイ島)の思い出話を初めて聞く。ヨコヤマさんのルーツとも言える地をこの目で見たいという強い想いを抱いた扇原さんは、ニウリイを目指す。

 
パーカー牧場の町ワイメアからくねくねとした19号線の道を西へ、30分ほど下ると、海岸線にぶつかる。そこから270号線を北上しコハラ地区へ。しばらく走るとハヴィという小さな町に着く。道に沿って立ち並ぶひなびた数軒の小さな店は、日本にも昔あった“よろずやさん”を思わせる懐かしい趣を持っていた。だが最近はアーティストと称する人々が住み着き、雰囲気が少し変わってきたらしい。

 
ほんの2ブロックほどしかない小さなハヴィの町を通り抜け、車で10分ほど行くと、次の町カパアウに着く。ここはあのカメハメハ大王の生誕の地とされる場所で、ホノルルにあるカメハメハ大王像のオリジナルがここにある。ヨコヤマさんがいつも「私の生まれたコハラは、カメハメハが生まれた場所だ」と誇らしげに語っていたのを思い出す。ジョージ(ヨコヤマさんの甥)からニウリイのことは聞いていたが、もしやと思い、町の公民館の前で井戸端会議をしていた3人の日系二世と思われるおばあちゃんたちに「この町に昔ヨコヤマという一家が住んでいませんでしたか?」と尋ねてみた。するとその中の一人が日本語で「たしか昔、テイラーをしていたヨコヤマというファミリーがおったように思うが」とのこと。『ハワイ島日本人移民史』の名簿には、ヨコヤマさんの父親、亀吉さんの職業は“労働”と記されている。ヨコヤマさんからも、サトウキビ畑で働いていたことを聞いていた。テイラーは別のヨコヤマさんに違いない。3人にお礼を言ったあと、後ろの公民館の入口に目をやると、昔の町の様子を撮った写真が掲示されていた。当時ここにはサトウキビの製糖工場があり、多くの日系移民が生活し、かなりにぎわっていたようだ。

 
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カパアウがヨコヤマさんのルーツの町ではないことがはっきりしたところで、さらに道を進んでいくと、右手にジョージが話していた小学校と同じの名の“Makapala”と記された真新しい看板が見えた。奥に見える建物は古く、いかにも学校のように見えるが、Elementary School という文字はなく、Christian Retreat Centerとある。現在は研修所として使われているらしい。中をのぞいてみると食事を提供するカウンターが見え、宿泊施設もあるようだ。ヨコヤマさんがかつて通っていた小学校はここに違いない。一歩一歩ヨコヤマさんのルーツに近づいていることを実感し、胸がときめく。
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〔ヨコヤマさんが通った小学校Makapalaは 現在は研修所となっていた〕

 
このあたりは多くの河川と木々に囲まれたコハラフォレスト保護区。大自然が人間の行く手を阻んでいるかのように、鬱蒼と茂った緑と所々に深い谷が現れ、そのずっと奥には滝が流れている。人影などまったく見えず、こんなところで車が故障したら救いを求めようがないと心細くなるほどだ。

 
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道路がさらに細くなったところで突然左手に“Niuli’I Cemetery” (ニウリイ墓地)の看板が現れた。ついにニウリイという名の付く場所へやって来た。私たちに、まるで実の子のように大きなやさしさと愛情を注いでくれたヨコヤマ一家のハワイでのルーツ、ニウリイを、ついに見つけたのだ。

 
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あたりは急に開け、牧草の中に数頭の馬が放牧されているのが見えるが、物音ひとつしない。聞こえるのは流れる風の音だけだ。ヨコヤマさんの両親はサトウキビ畑で働いていたというが、現在サトウキビはハワイ島でほとんど栽培されていない。周辺にはわずか数軒の家が遠くに見えるだけで、寂しいほどひっそりと静まり返っていた。かつて横山亀吉夫妻は新天地での生活をここでスタ
ートさせたのだ。

 
〔手前に見えるのが点在するお墓。遠くには海を臨む家が数軒建っていた〕

 
ニウリイ墓地には、新しい花が添えてある墓もあれば、古く苔むしているものもある。遙か昔、故郷から遠く離れたハワイの地で厳しい畑作業に耐え、いつか再び故郷に帰ることを夢見ながらこの地で一生を終えた様々な国の人々のお墓が点在していた。日本、フィリピン、ポルトガルなど、出身国はそれぞれ違っていても、故郷を思う気持ちはみな同じだったことだろう。目の前に広がるお墓の数々を見ていると、当時の人々の心情が痛いほど感じられ胸がいっぱいになった。

 
ヨコヤマ一家は、このニウリイの地でリチャードさんを筆頭に5人の子供をもうけ、その後ヒロに新しく居を構えた。おそらく大きな町で子供たちに十分な教育を与えたいという配慮からだったのだろう。6人目のシマダさんからはヒロ生まれで、そのあとさらに3人の子供が生まれ、合計9人の兄妹の一家となった。

 
リチャードさんの両親、横山亀吉さんとやえさんは、現在リチャードさんとその妻のツルヨさんが葬られているヒロの同じ墓地に眠っている。

 
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】
ついにガラケーを卒業! といっても、シンプルスマホに替えただけで
機能としてはこれまでのガラケーとほぼ変わらない。それでも液晶画面を
指でシュッとこするときに、なんとなくワクワクしてしまう自分がちょっと悲しい・・・

 
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