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やさしいHAWAI’I 
第49回 『瀬戸内のハワイ』

やさしいHAWAI’I <Br>第49回 『瀬戸内のハワイ』

Niulii(ニウリイ)という場所をインターネットで検索してみても、簡単には出てこない。Google マップでハワイ島北部に焦点を合わせどんどん拡大していくと、ようやくこの名前が現れる。ヨコヤマさんのルーツのあるニウリイはそれほど辺境の地だった。ニウリイの先をたどるとヨコヤマさんが健在だったころ、一緒に訪れたことがあるポロル渓谷という観光客にはあまり知られていない地がある。島の北のはずれにある素晴らしい景観の渓谷だが、何だかとても寂しい場所だった。そこから先に車道はなく、急な下りの細いトレイルをたどっていくと海岸に出るらしい。かつて日本の移民を乗せた船の何隻かは、このポロル渓谷にたどりついたと聞く。ヨコヤマさんの父親である亀吉さん一家もこの寂しい海岸に着き、道なき道を登ってニウリイの地で移民生活を始めたのだろうか。

 
ヨコヤマさんの家族であるジョージ、エミ、シマダさん達とコーヒーを飲みながら、ニウリイのことを初めて聞いたあの夜(第44回参照)、シマダさんが「私の父さんと母さんは、広島県安芸区中野町の出身よ。そこからハワイへ来たの」と言っていた。その言葉が今も私の心から離れない。そこで、ニウリイを訪れた旅から日本に帰ってきておよそ1年後、今度はシマダさんから聞いたヨコヤマ亀吉さんの出身地、広島県安芸区中野町を訪れることを決めた。

 
ポロル渓谷
[ポロル渓谷]

ハワイへ移住した人たちは、広島県、福岡県、山口県出身者が多い。せっかく広島まで行くのだからとハワイ移民に関していろいろと調べているうちに、山口県の周防大島では、島の人口の3分の1がハワイへ向けて旅立ったことが分かった。明治18年、第1回の官約移民(ハワイ政府と日本政府の契約に基づく移住)944人のうち、およそ3割が周防大島出身の人たちで、その後もこの島から多くの人たちがハワイに移住した。当時この島では人口が急激に増えたことに加えて、大きな自然災害が続き、生活は困窮を極めていたため、人々はハワイに将来の望みを託したのだろう。現在でも島には日本ハワイ移民資料館があるという。これはぜひ見学しておきたいと思った。

 
新幹線の広島駅で降り、そこからレンタカーを借りて、左手に瀬戸内海を見ながら宮島海道を西に向かって走る。岩国を過ぎ、しばらくすると左手に大島大橋が見えてきた。周防大島は瀬戸内海で3番目に大きな島で、現在の人口は2万人弱。橋を渡り宿泊予定のホテルでもらった地図を頼りに島を一周することにした。美しい海に囲まれたこの島ではゆったりと時間が過ぎていく。島のあちこちには柑橘系の木が多く見られ、そこでミツバチが集めた蜂蜜が道端で売られていた。さすが“瀬戸内のハワイ”と言われるだけあって、島全体がまるでハワイを彷彿とさせる穏やかさを持っている。しばらく走ると日本ハワイ移民資料館を見つけた。館内には移民名簿をはじめとした様々な資料が展示され、官約移民の当時の様子が貴重な映像とともに紹介されていた。

 
資料館でとても興味深い時間を過ごした後、再び島を回りながら、できたら島の人に直接話を聞きたいと思っていたところ、一人のおばあちゃんが家の中に入っていく姿を見かけた。直感でこの人だと思った私は、急いで車を止めて後を追った。すると玄関先で車を洗っている中年の男性がいる。私は失礼を承知で「この島でかつてハワイへ移住した方がいらしたら、お話を伺いたいのですが」と声をかけた。するとその男性は「うちのばあちゃんが昔ハワイで暮らしていたよ」と、そのおばあちゃんを連れてきてくれたのだ。「私は5歳の時、両親と一緒に移民としてハワイへ行ったけど、21歳でまた島に帰って来たんだよ」。おばあちゃんはその後、島の人と結婚をして現在に至るという。ハワイからこの島に戻ってくるには何か事情があったのだろう。見知らぬ人間からの突然の質問にきちんと答えてくれたのだが、それ以上の個人的な話を尋ねることは、何だかはばかられた。でも、周防大島からハワイへ移住した生き証人の話を直接聞くことができた。

 
もっと多くの人に話を聞いてみたかったが、旅の本来の目的はヨコヤマ亀吉さんの故郷を訪れることだ。その晩は島のホテルに泊まり、再び大島大橋を渡って、いよいよ目的地、“広島県安芸区中野町”へ向かった。

 
Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近の私】
朝のウォーキングに出掛ける時に必ず挨拶をしていた近所の仲良しおじいちゃまが突然亡くなられた。ご家族の話だと前日までお元気だったとか。その日東京では珍しい二重の美しい虹が出た。きっと先に亡くなったおばあちゃまが迎えに来たのだと思うとおっしゃっていた。優しい笑顔の、大好きなおじいちゃまだった。

 
 第48回 ついに見つけたヨコヤマさんのルーツ
 第47回 ハワイの“ローハイド”たち
 第46回 王家の谷の静寂を乱したのは・・・

 
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