Vol.18
笑顔あるお葬式
【最近の私】 2014年12月1日。買い物から帰ってくると”クウ〜ン”と小さな鳴き声がする。どうやら軒下から聞こえてくるので覗いてみると、ダムちゃんの親友犬が出産真っ最中!そして震えるお母さんの横には小さな仔犬が一匹!!”がんばれ!”と心で応援しながらそわそわした数時間を過ごし、無事4匹の赤ちゃんが誕生いたしました。
最近、2週間で2回のお葬式に参列をしました。チェンマイでお葬式に参加したのはこれが初めてではありませんが、日本との違いについて、あらためて考える機会となりました。
■葬儀で悲しまない?!
参列していつも感じることは、日本と違い「お葬式が明るく(?)、悲壮感や湿っぽさがないこと」です。タイは死を悲しむのではなく、よい来世へ行く旅立ちを”見送る”という考え方なので、家族は別として、ほとんど泣いている人がいません。逆に泣き悲しむことは、亡くなった方の足を引っ張り旅立ちを妨げることになるそうです。
お葬式の場所は、宗教などによって違いますが、今回、1つの葬儀は自宅で行われ、儀式後には亡くなった方の教え子による生バンドの演奏があり、一見すると祝い事のようでした。また、もう一方の葬儀では、まるで結婚式でよく見る「新郎新婦の生い立ちビデオ」のように、亡くなった方の想い出ビデオが流されていました。家族とのスナップ写真をまとめたものから、最後は病院に搬送される時のスナップや入院中のスナップまで。亡くなった方の現実をオープンに披露しているのですが、それを見て涙していたのは私くらいで、逆に浮いてしまったほどです。
また、お棺と一緒にパチパチと写真を撮りフェイスブックなどにアップしている若者の姿も・・・。お葬式への参列さえイベントとしてシェアすることに躊躇しない姿に、あらためてカルチャーショックを受けました。
■日本と違う“色”の感覚
お葬式で使われる”色”にもタイらしさが見られます。もちろん服装は黒か白が基本ですが、真っ黒なお召物を纏っていたのは家族くらいで、参列者は黒っぽい感じがどこかに入っていればいいという感じ。ビーチサンダルの人がいたり、喪主である家族がキラキラした金色の宝石を身につけたり、派手なネールアートのままの人もいました。
服装よりも何よりも、参列することに重きを置いているのです。気張らずに参列できる点はいいなと感じます。また、献花の色も真っ赤やオレンジピンク、紫など、とにかく艶やか。(こんな色使っていいのかなぁ)と、日本人である私には違和感が・・・。一緒に参列したパートナーは「白だけでは寂しいから」と言っていましたが、なるほどこの国のお葬式では”静”よりも”動”的な感性を大切にするんだなと考えさせられました。
■”寂しいけど、悲しくはない。”
では、実際のご家族はというと・・・少しだけ喪主のご家族とお話しする機会がありました。私はどうしても日本式にこう切り出さずにはいられません。
「お悔やみ申し上げます。悲しいでしょうね」
そう声をかけると、彼女は笑顔で「悲しくはないのよ。でも寂しい。今は家族がいるからワイワイ楽しいけど、みんなが帰ったらきっともっと寂しさがやって来そう!息子には遊びに行かないで私と一緒にいてくれるように言わなくちゃ(笑)”」
口には出さないけれど、お葬式が始まるまで悲しみと向き合ってきたのでしょう。でも、ケジメのつけ方がすごくはっきりしていて、来世へ送り出すお葬式の日には、こうして笑顔でお見送りする。この、日本との大きな違いは、彼女が生まれ育った環境から生まれる、根本的なところでの考え方の違いなんだろうなぁ。
■”お別れ”と”送る”の違い
今回の経験は、私が日本人として何気なく受け入れていた「お葬式」について振り返り、深く考えるための機会を与えてくれました。日本で過ごしていた頃の私にとって、お葬式は”別れる”ことへの悲しみの要素が濃いものでした。でも、ここチェンマイのお葬式は、前を向いて”送り出す”ことであり、人生最後の節目の“おめでたい出来事”なのです。もちろん宗教の違いや環境、時代によって考え方が異なるのは当然だし、良い悪いもありません。それでも、涙ではなく笑顔で送り出せるんだと知ったことは、私にとって、自分の死生観を見つめ直す大きなきっかけになったのです。
—————————————————————————————–
Written by 馬場容子(ばば・ようこ)
東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
—————————————————————————————–
花と果実のある暮らし in Chiang Mai
チェンマイ・スローライフで見つけた小さな日常美