第65回 特撮番組の俳優たち
【最近の私】ニコタマの新しいシネコンで映画を見た。劇場の外には池のあるミニ庭園。毎週末、あんなオシャレなところで映画と買い物を楽しむ、なんていう生活を送ってみたいものだ。
映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(以下、『バードマン』)を観た。アクション映画のヒーロー、バードマンを演じた俳優が、それ以外の作品でも認めてもらおうともがき苦しむ話だが、主演が『バットマン』(1989年)で主人公を演じたマイケル・キートンだけに、単なるフィクションとは思えないところが興味深い。
『バードマン』を観て僕が思い出すのは、ウルトラマンや仮面ライダーを演じた俳優たちだ。“出世作”となった特撮ヒーロー番組が終わった後、テレビ画面から消えてしまった俳優たちは少なくない。たまにドラマで見かけたとしても、端役や悪役ばかりだ。
初代ウルトラマンの黒部進がそうだった。久しぶりにテレビで見たと思ったら悪役だったので、子供心にも複雑な心境になったものだ。ウルトラセブン役の森次晃嗣も、悪役こそなかったと思うが、あまり見かけなくなったという点において大差なかった。例外は、初代仮面ライダーを演じた後、大河ドラマや刑事ドラマでも活躍した藤岡弘(現藤岡弘、)ぐらいだろうか。
そんな数十年前と比べると、最近は事情がだいぶ違うようだ。『仮面ライダークウガ』(2000年)のオダギリジョーを筆頭に、ライダーシリーズからは水嶋ヒロ(『仮面ライダーカブト』(2006年))、佐藤健(『仮面ライダー電王』(2007年))、福士蒼汰(『仮面ライダーフォーゼ』(20011年))などが出ている。ライダーシリーズ以外に目を向けても、つるの剛士や杉浦太陽は元ウルトラマンだし、松坂桃李や玉山鉄二は元スーパー戦隊だ。かつて、ライダーやウルトラマンを演じた俳優たちは、子供番組の出演者として低く見られる傾向があったが、今や特撮番組は若手俳優の売り出しの場になっている。
俳優なら誰しも、オダギリジョーのように、“大人番組”の主役に抜擢され、認められることを願うだろう。しかし、そのためには変身ヒーローのイメージが邪魔になる。『バードマン』の主人公リーガンも、バードマンのイメージを払しょくしようともがいていた。しかし、その思いをあざ笑うかのように、通りを歩いている彼を見た人々は、「バードマンだ」と口を揃えて言うのだ。誰一人として、彼の名を呼ぶ者はいない。そこに、リーガンの苦悩が象徴的に描かれていた。
特撮ヒーロー番組の出演者たちが、放送から何年もたった後に、「放送終了後は番組と関わりたくなくて、距離を置こうとしていた」という内容の発言をすることは珍しくない。彼らが当時そんなふうに思っていたのも、イメージを気にしてのことだろう。しかし、その後年月を経て、ファンを前にしたトークショーなどに出演し、さらにそんなカミングアウト的発言ができるのは、当時の自分を受け入れられるようになったからに違いない。彼らの心境が変化した裏には、昔からのファンの存在が大きいようだ。何年たっても、いまだに自分の出ていた番組が愛されているのを見て、「出演して良かった」という気持ちになったという声をよく聞く。
特撮番組からいったん離れるのは、僕ら視聴者も同じだ。当然ながら、誰でも成長するにつれ、子ども番組は見なくなる。僕の場合、たとえば仮面ライダーなら、シリーズ3作目の『仮面ライダーV3』を最後に興味が薄れていったのを覚えている。今またこうして特撮番組への興味を取り戻したのは、DVDで古い番組が気楽に見られるようになってからのことだ。きっかけは人によって違うだろうが、多くのオールドファンが、子供の頃に抱いたヒーローへの憧れの気持ちを取り戻している。
すっかり中年となった、かつてのちびっこファンたちと、当時の面影が薄れつつある俳優たち。トークショーなどが温かい雰囲気で包まれているのを見ると、両者の間には仲間意識のようなものが生まれているようにすら感じる。そんな姿を見ていると、特撮番組のイメージが強すぎることは、俳優たちにとって決して悪いこととは言えないのではないか。ファンの側からの勝手な言い分ではあるが、僕はそんなふうに思うのである。
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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている
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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る