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STRANGEとREALの狭間 原宏一ワールドへようこそ!

STRANGEとREALの狭間 原宏一ワールドへようこそ!

6月のテーマ:STRANGE
 

早朝、ドアチャイムとノックで起こされると、ドアの前に白衣姿のおじさんがいて、「あなたの歯をぜひ磨かせていただきたいのです!」といきなり土下座される…。これは、原宏一氏の短編「ブラッシング・エキスプレス」(「天下り酒場」に収録)の冒頭シーンだ。原氏の小説はいつも奇想天外な発想で唖然とさせられるが、中でもこのシーンには度肝を抜かれた。
 

不審なおじさんの正体は尾地デンタルクリニックの院長、尾地さん。一年半前に開業し、夕方から深夜の営業で大盛況となるが、近隣の同業者からの猛反発と嫌がらせにあい、廃業に追い込まれたという。そんな彼が新たな商売として考案したのが出張歯磨き。契約者のもとを毎朝訪れ、プロの技で歯をピカピカに磨ぎあげるというサービスだ。尾地さんに泣きつかれた主人公の「おれ」も実は広告代理店を退職したばかりで失業中。とりあえず、試しに自分の歯を磨いてもらったところ、予想以上に気持ちがいい。「これはきっと商売になる!」と睨んだ「おれ」は尾地さんと手を組み、ブラッシング・エキスプレスと銘打った商売を始めるのだが…。
 

この物語の背景にあるのは、歯科医院過剰問題だ。日本歯科医師会の発表によると、70年代から80年代にかけて食生活の変化に伴って国民のムシ歯が急増したため、歯科医師不足が深刻となり、国は次々と歯科大学を新設していった。その結果、歯科医師の数は増え続け、2009年には歯科医師数は10万人(日本歯科医師会がさまざまなデータを基に推計した望ましい歯科医師数は8万1641人)を超え、患者の取り合いとなっているのだ。作中で尾地さんも、「いまや日本の歯科医院の数はコンビニの2.2倍。経営難を苦に自殺する歯医者までいる始末」と嘆いている。最初はただのおかしな話だと笑いながら読んでいると、原氏はいつも適所にシリアスな現実を投げかけてくる。そしてファンタジーとブラックユーモアが融合し、「実は結構ありえるかも?」と最後はなんだか納得させられてしまうのだ。この絶妙なバランスに私ははまってしまった。ちなみに、物語が進むにつれ、尾地さんは別人のように金儲けに執着していき、やがて悲劇的な結末を迎える…。
 

原宏一氏はコピーライターを経て、97年に「かつどん協議会」で作家デビュー。当初はなかなかヒット作に恵まれず、いつも初版止まりだったという。しかし、書店員の熱心な応援で短編集「床下仙人」が2007年にベストセラーになったことからブレイク。その帯には俳優のイッセー尾形氏から「カフカにも勝る絶妙な仕掛けがある」と絶賛のコメントが寄せられている。確かに原氏の作品には人に語りたくなる面白さがあり、口コミでブレイクしたのは納得だ。また、原氏の魅力はそのタイトルにも凝縮されていると思う。「天下り酒場」「東京ポロロッカ」「姥捨てバス」「アイドル新党」「ダイナマイト・ツアーズ」「穴」…。不思議なワードのオンパレードで「なんだこれ?」と気になり、思わず手に取ってしまうのだ。
 

私も「ブラッシング・エキスプレス」をきっかけに、原氏の作品を何冊も読んだが、どれもこれも奇妙な世界だった。謎の老紳士から400億円を提供され、東京に新しい鉄道を作って欲しいと依頼される「東京箱庭鉄道」。ホームレスでありながら小ぎれいな身なりで築地市場に通い、食通の情報屋として人望が厚い謎の男を描く「ヤッさん」、売れない若手お笑いコンビが霊能者を演じて大もうけをしようと企み、政界をも巻き込む事件に発展する「大仏男」などなど。荒唐無稽でおかしな展開ながらも、人情味に溢れた愛すべき人物と強烈な皮肉、さらに歴史上の事実などを織り交ぜて現実的に見せていくその独特なワールドはクセになること請け合いだ。さて、そろそろあなたも読みたくなってきたはず! とりあえず、気になったタイトルの1冊をぜひ手に取ってみては?
 

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Written by 池田明子
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[JVTA発] 発見!キラリ☆  6月のテーマ:STRANGE
日本映像翻訳アカデミーのスタッフが、月替わりのテーマをヒントに「キラリ☆と光るヒト・コト・モノ」について綴るリレー・コラム。修了生・受講生にたくさんのヒントや共感を提供しています。