発見!キラリ★ 水平線の向こう
7月のテーマ:海
私は海沿いの町の出身だ。父の実家も母の実家も海が近い。だから海の思い出が多いし、思い返せば海は私の人生において重要な役割を果たしている。
幼い頃、毎週末の朝は父と姉と海へ散歩に行くのが習慣だった。磯部の岩山によじ登って海賊を気取ったり、イソギンチャクに指を突っ込んだり、岩の窪みに取り残されたクラゲに刺されたり…。なかなかワイルドな鼻たれ少女だったと思う。おかげで小学校時代は女だてらにガキ大将だった。ここで勝気で縛られるのが嫌いな私の性格が形成される。
もう少し大きくなって太平洋側にある父の地元から、日本海側の母の地元に引っ越しをし、そこで思春期を迎えた。私は父の地元とは比べものにならないほど田舎だった母の地元が本当に嫌で、いつも海を見ては「こんな息の詰まりそうな所は嫌だ。この海の向こうには大きな世界が広がっている。早く大人になって、この海の向こうにあるアメリカに行くんだ」と思っていた。ちなみに、私が見ていたのは日本海だったので、「海の向こうにあるのは韓国と中国だ。くだらん事を夢見る前に、お前は地理の勉強をしろ」と両親だけでなく祖父母からも何度言われたか分からない。
しかし、その言葉が影響したのか中学生になった私がドはまりしたのが香港映画だった。当時ジャッキー・チェンと人気を二分する大スター、ユン・ピョウのファンになった私は満を持して家族に宣言した。「私は香港に行ってアクションスターになる」。大人たちは呆れながらも言った。「そうか、それはいい。それには英語は不可欠だ。歴史も知っていないといけない。夢をかなえるために勉強しなさい」と。
そこから私は猛烈に英語を勉強し、今の映像翻訳の道が…となればかっこいいが、全然勉強しなかった。ひたすらユン・ピョウの動きをマネしていたので、体育の成績だけが上がった。とは言え、映像翻訳への道の原点であったのは間違いない。なぜなら私はユン・ピョウ見たさに今は無き映画雑誌「Roadshow」を買い始め、ハリウッド映画にハマったからだ。高校生になっていた私は改めて家族だけでなく担任にも宣言した。「私はハリウッドに行って役者になる」。大人たちは呆れて言った。「現実を見ろ」。
それから十数年かけて私は本当にハリウッドに行き、役者になった。死ぬ気で、人生を懸けて英語と格闘した。だから今の私がある。当時、サンタモニカの海を見ながら思ったのを覚えている。「この向こうには日本がある。遠くまで来たなあ。家族に会いたいな」と。
最近は海を見ていない。今海を目の前にしたら私は何を思うのだろうか。梅雨が明けたら海に行ってみようと思う。
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Written by 檜垣 幸子
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[JVTA発] 発見!キラリ☆ 7月のテーマ:海
日本映像翻訳アカデミーのスタッフが、月替わりのテーマをヒントに「キラリ☆と光るヒト・コト・モノ」について綴るリレー・コラム。修了生・受講生にたくさんのヒントや共感を提供しています。