第67回 妖怪と特撮
【最近の私】実写版の映画『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』を観た。辛辣な意見が多いが、絶賛する声もある。僕の意見は当ブログの次回の記事で。
夏といえば怪談や肝試しを思い出す。最近は『妖怪ウォッチ』の大ヒットで、妖怪ブーム再来と言われているらしいが、ジバニャンはかわいすぎて、どうにも妖怪には見えない。僕が子供の頃テレビや雑誌で見た妖怪は、もっと恐ろしい姿をしていた。そういえば、特撮番組も今とは違って、ホラー色の強い作品やエピソードが多かった気がする。
例えば『仮面ライダー』は番組開始当初、はっきりと怪奇色を前面に打ち出していた。怪人たちは、夜の闇の中におぞましい姿をひそませ、薄気味の悪い声をあげながら人を襲う。そしてライダーに倒されると、ドロドロに溶け、跡形もなく消滅してしまう。そんなパターンが多かった。怪人の断末魔といえば、ライダーキックを受けて崖下に転落して大爆発、といったイメージが強いが、番組開始当初はまったく違っていたのだ。
『超人バロム・1』(1972年)の場合、どことなく漫画チックで妖怪テイストの怪人が多かった。番組後期には、目や手など人体のパーツをモチーフに、まるで遊園地のお化け屋敷からそのまま抜け出てきたような怪人たちが登場し、怪奇性をますます強めていった。首から上がなく、両腕の先に人の顔が付いたクビゲルゲ、体中に目があるヒャクメルゲなど、子供のトラウマになりそうな怪人のオンパレードだった。
僕が一番怖かったのが、大映の特撮時代劇『妖怪大戦争』(1968年)だ。2005年にリメイクされたときには登場しなかった敵役、西洋妖怪のダイモンがとにかく恐ろしかった。ダイモンはバビロニアの遺跡に封印(?)されていた吸血妖怪で、真っ黒な暗雲とともに日本までやって来て、最初の犠牲者である地元の代官、磯部兵庫を襲い、彼になり代わる。ダイモンの見た目も恐ろしかったが、むしろ人間の姿でいるときの方が恐怖を強く感じた。いつ正体を現して人々を襲うか分からないスリルに、ハラハラさせられたせいだろう。また、ダイモンは敵を前にしても泰然自若として、暴れまくるようなシーンもなく、その余裕ある態度が怖さを一層増幅していた。
余談であるが、僕は動物のように素早く動き回るハリウッド製モンスターが好きではない。『エイリアン』のエイリアンは、振り返るとそこに立っていたり、船室の隙間からゆっくりと出てきたりするところが怖かったのだ。だから『エイリアン3』(1992年)で、犬のように四つん這いで走り回るのを見たときはガッカリした。『スピーシーズ 種の起源』(1995年)に登場する、新生命体シルも同じことが言える。不気味な姿だが、メスという設定と人間の女性のように細身のプロポーションをしていただけに、幽霊のように静かに立っているだけのほうが恐怖心を煽られただろうと思う。
ダイモンに話を戻そう。磯部兵庫の前に現われた時のことだ。数メートル先に悠然と立っていたかと思うと霧のように姿を消し、次の瞬間また霧のように目の前に現れる。その際も、ただ悠然と立って、じっと兵庫を見ている。両腕を大きく広げ、口をカッと開いて獣のように吠え…などという安っぽいことはしない。この悠然とした態度が、同じ大映映画のヒット作『大魔神』(1966年)に登場する大魔神に似ていると思っていたら、どちらも同じスーツアクターの橋本力氏の演技だった。思わず納得である。
今と比べて僕が子供の頃、お化けはもっと身近だった気がする。住宅街でも暗い道がそこら中にあり、木が生い茂っている所などは漆黒の闇で、人ではない何かが潜んでいそうだった。当時の子供たちはみんな、そんな場所に囲まれて生活していたのだから、妖怪や化け物は単なる空想の世界ではなかった。
今や、田舎にでも行かない限り、そんな闇は見当たらない。ほとんどの道に街路灯が整備され、周囲を明るく照らし出すコンビニエンスストアもあちこちにある。そんな生活環境でお化けだ、妖怪だと言われても、ピンと来ない子供たちが多いのではないだろうか。特撮番組も社会の変化に合わせ、様変わりしていくものということか。
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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る