第55回 “科学の進歩”か“ネイティブの文化”か
【最近の私】先日台北を訪れた。故宮博物館では、かの有名な白菜の上のコオロギ、豚の角煮を人に押されながらちらりと見た。“千と千尋の油屋”のモデルではないと宮崎さんが言っているにもかかわらず九份には千尋やかおなしのグッズが売られていた。とにかくどこに行っても人、人、人」。
ここ数カ月、ハワイに関してずっと心に引っかかることがあり、ヒロにいる日系3世の友人エミにメールを出した。「TMTについて、どう思う?」
半日経って、彼女から返事が来た。
「TMTはハワイ州に対し、特に教育に関してとても大きな貢献をしていると思う。TMTは、建設に際しハワイの文化や宗教を尊重しているし、ハワイの大地を大事に思っているのは確か。それに加え、ハワイ州政府はそれを支援するための、さまざまなプログラムも組んでいる。現在起きているネイティブ・ハワイアンとの衝突も、いずれはすべてが良い方向に進むと確信している」。
この『TMTプロジェクト』に関しては日本ではほとんど話題に上っていない。知っているのは天体観測に興味のある、ごく限られた人々のみだと思う。TMTとは『Thirty Meter Telescope』の略称で直径30メートルの巨大な天体望遠鏡建設計画のことだ。TMTはこのプロジェクトのために、借地料として毎年100万ドルを支払う。そのうち8割は、マウナケアを管理するマウナケア山頂管理事務局に支払われ、残りの2割はハワイ人関連問題事務局(OHA)に支払われる。また年間100万ドルを拠出してTHINKという奨学金制度を制定し、ハワイの低所得家庭の子供たちが高等教育を受けるための支援や、雇用の創出を図っている。
現在、ハワイ島マウナケア山頂に建設計画が進められているこの巨大天体望遠鏡。アメリカ、日本、カナダ、中国、インドの5カ国がこの建設計画に参加している。総建設費の4分の1にあたる375億円は、日本が負担する。この望遠鏡の能力はすさまじいもので、東京から大阪にある1円玉を明確に判別でき、あのハッブル宇宙望遠鏡の能力を10倍以上も上回る解像度だそうだ。今後、宇宙の成り立ちを解明する情報も得られる可能性もあるということで、宇宙天文学に携わる世界中の人々は、多大なる期待を寄せている。この巨大天体望遠鏡があれば、地球と同じように生命体を抱える別の星を見つけることができるかもしれない。
建設予定地であるマウナケアの山頂には、現在すでに13基の天文台が建設されている。それは遠い麓の町ヒロからも、太陽に反射する13の異質な金属の光として肉眼ではっきりと見える。その中の一つが、日本のすばる天文台だが、その反射鏡は直径約8メートル。それに比べ、これから建設されるTMTは直径30メートルという巨大さだ。1枚が対角1.4メートル、合計429枚の分割鏡のうち、約3割を日本が製作、研磨。この分割鏡を組み合わせ、直径30メートルの巨大な反射鏡にするのだ。また日本は望遠鏡本体構造の製作も担当する。今後日本は、すばる望遠鏡に加えTMTから得るさまざまな情報をもとに、天文学において最先端の技術で世界をリードしていくだろう。(興味のある方は、以下のサイトを開けばTMTに関する細かい情報を得られます。http://tmt.mtk.nao.ac.jp/info/files/tmtbb-ols.pdf
そんな夢のようなプロジェクトがなぜ今ハワイで論争の対象となっているのか。それはマウナケアがネイティブ・ハワイアンにとって神聖な山だからだ。古来マウナケアは彼らの信仰の対象となってきた。私も2度上ったことがあるが、途中に設置された祭壇には常に捧げものが置かれていて、ネイティブ・ハワイアンがいかにマウナケアを大切にしているかを、ひしひしと感じた。この聖なる山にこれ以上の、それも巨大な天文台を建設することは、マウナケアを冒涜することになると、彼らは抗議運動を行っているのだ。
ハワイを愛する者の一人として、彼らの気持ちは私にも強く伝わってくる。1894年、ハワイ王国は滅亡し、アメリカの50番目の州となった。白人の価値観によって、独自の文化、宗教、言語、芸術を一時禁止されたネイティブ・ハワイアン。そして今、聖なる山に更なる科学の進出を認めさせられようとしていることに対し、彼らが抗議するのは理解できる。ハワイは世界の楽園というイメージと同時に、悲しい歴史をも積み重ねてきたのだ。そんな過去を持つネイティブ・ハワイアンの心情と、人類の科学進歩へのあくなき欲望との、一体どちらを優先させるべきなのだろうか、私はいまだ答えを見いだせないでいる。これからの成り行きを見守りたい。
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。