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第56回 私の心の歌 Kanaka Waiwai

第56回 私の心の歌 Kanaka Waiwai

【最近の私】4泊5日で岡山、小豆島、倉敷を一人で旅してきます。小豆島は以前から訪れたいと思った島です。島が好きなんですよね~。これはハワイ好きからきたのでしょうか。瀬戸内海でタイを釣りたい。上手くいきますように!
 

長年フラを踊っている友人がいる。彼女の所属するフラハラウ(フラの教室)は全日本フラ選手権で2位を取り、本場ハワイに引けを取らないほど素晴らしいフラを踊る。2年前には、ハワイ島のヒロで毎年行われる世界で最大のフラのコンテスト、メリーモナークフェスティバルの前夜祭を飾ったほどだ。彼女たちのパーフォーマンスがつい先日、中野サンプラザで催された。その友人に招待され、私は久しぶりにハワイの音楽とフラに、どっぷりと浸かってきた。
 

ハワイの音楽と聞いて私が、最初に思い出すのは、『Kanaka Waiwaiカナカヴァイヴァイ』という曲だ。日本ではあまりポピュラーな曲ではないので、ご存知の方は少ないかもしれない。
 

もう40年以上も前のことだ。ハワイで長男が生まれて半年ほどたった時、ハワイ大学の日本語学科教授から、日本語のクラスのドリルマスターをしてくれないかと頼まれたことがあった。ドリルマスターとは教科書に出てくる日本語の会話を、生徒に反復練習させる手助けをする役目だ。私は東京に長く生活しアクセントがほぼ標準なので、適任だからぜひお願いしたいと言われた。当時は日中、子どもと二人だけの毎日だし、生活に変化ができておもしろそうだと思い快諾した。長男を近所の日系のおばあさんに預けながら、週に2日ほど2時間余りの日本語ドリルの授業を受け持った。子どもから解放され自由になれる時間を得て、張り切ってヒロのハワイ大学で授業をしていたある日のことだった。教室の外から音楽が聞こえてきた。美しい旋律だった。ハワイ語は分からなかったので、歌詞の意味が理解できず、クラスの生徒に聞いたところ、それは『カナカヴァイヴァイ』という曲だと教えてくれた。緑に囲まれプルメリアの香りが漂う、静まり返った大学のキャンパス。その中を、『カナカヴァイヴァイ』が流れていく。それは私の心の中に強烈な印象を残した。私は親しくしていたヨコヤマさんにその曲のことを尋ねた。
 

ウクレレ
 

「ああ、あの歌はな、昔ハワイにキリスト教を広めようと大勢のハオレ(白人)がやって来た時のことを歌っているんだ。ハオレはカナカ(ハワイ先住民)に、『永遠の命が欲しければ、持っている物すべてを神にささげろ』そう言ったんだ。それが何を意味するか分かるか? 当時カナカはこのハワイの大地は神が与えてくれたものだと考えていた。“大地は誰もが共有するみんなの物だ”と思っていたからこそ、大地から得るものをみんなで分かち合って生活をしていた。後からやって来たハオレは、カナカの土地でサトウキビやパイナップルを栽培し利益を得ようと思った。彼らはそれまでのカナカの神を否定し、カナカにキリスト教への改宗を勧めた。土地を手に入れるためにイエスの神の名のもとに、その土地を手放せとカナカに迫った。その結果、カナカは自分たちの土地を、全部ハオレに奪われたんだよ」
 

ヨコヤマさんの説明を聞いてからは、この『カナカヴァイヴァイ』という曲を聞くたびに、ハワイの悲しい歴史が心にうかんだ。
 

今回改めて『カナカヴァイヴァイKanaka Waiwai』という曲について調べてみた。
作曲したのは、ジョン・カメアアロハ・アルメイダ(1897―1985)という盲目のミュージシャンで、数多くのハワイアンのヒット曲を作った人物だ。ウクレレの才能に長けていた彼は、4歳のころからすでに教会のコーラスで歌い始め、1915年『カナカヴァイヴァイ』をモルモン教会に捧げる歌として作曲した。歌詞は新約聖書マタイ伝19章をハワイ語に訳したもので、大意はこうだ。
 

レコードジャケットにあるアルメイダの写真

レコードジャケットにあるアルメイダの写真


 

“旅をしていたイエスが、裕福な若い男と会った。男はイエスに尋ねた「永遠の命を得るために、私は何をするべきなのでしょうか?」。
イエスはこう答えた「与えなさい、あなたのすべての財産を与えなさい。それによってあなたは天に宝を積むことになる。それから私に従いなさい。そうすればあなたは永遠の命を得られるでしょう」“しかしメロディーがあまりにフラ的で、教会にはそぐわないと合唱することは拒否されたという。それからおよそ100年後の今、この歌はハワイの多くの教会で歌われている。
 


 

現在ハワイ住民のおよそ3割はキリスト教徒。ヨコヤマさんの妹、シマダさんも敬虔なクリスチャンだ。元気だったころは毎週日曜日には欠かさず教会へ行き、ほかのクリスチャンと盛んに交流し、ボランティア活動も活発に行っていた。
 

すでに書いた通り、この曲は教会で歌われるために作曲されたものだった。ではヨコヤマさんは、私になぜあのような話をしたのだろう。私はいつも思う。征服したものと征服されたものの、どちらの側から見るかによって、歴史は全く姿を変える。現在のハワイの姿、それは世界の楽園、プルメリアが咲き乱れ、ヤシの葉が夕日に揺れ、どこにも代えがたい美しい島々。でもその陰には西欧の文化がハワイに押し寄せてきた影響で、カナカはフラダンス、ハワイ語、そしてハワイで信じられてきた多くの神々など、自分たちの従来の伝統をことごとく否定された悲しい歴史を抱えていた。ヨコヤマさんはそれを私に伝えたかったのではないだろうか。ヨコヤマさんのこの『カナカヴァイヴァイ』の歌の解釈は、独自のものかもしれないが、。しかしヨコヤマさんは日系人でありながら、カナカの心をカナカと同じように感じることのできる人だった。私の心の中には、ハワイの哀しい歴史と共にヨコヤマさんの言葉が鮮烈に残り、いつまでも消えずにいる。
 

私が好きな『カナカヴァイヴァイ』はこちら

 

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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。