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発見!キラリ「流刑者・研究者・異文化に橋を架ける男 ブロニスワフ・ピウスツキ」

発見!キラリ「流刑者・研究者・異文化に橋を架ける男 ブロニスワフ・ピウスツキ」

8月のテーマ:太陽
 

映像翻訳者の仕事の多くを占めるのが「調べて学ぶこと」。
実は、私の母国・ポーランドの人物で、「調べて学ぶ」ことにより、数奇で、苦難な運命を辿りながらも人生を切り開き、文化に貢献し、歴史に名を残した人がいます。「ブロニスワフ・ピウスツキ」。“ポーランド共和国建国の父”といわれるユゼフ・ピウスツキの兄に当たる人物です。そんな彼のストーリーをご紹介したいと思います。私は、彼の人生を考えるたびに「どんな状況でも“天職”と呼べるものを見つけて誠実に努めれば、大きな成果を残すことができる」というインスピレーションを受けるのです。
 

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ブロニスワフ・ピウスツキ
 

皇帝暗殺計画に巻き込まれて流刑地へ
ブロニスワフは現在のリトアニアにあるヴィリニュス周辺のシュヴェンチョニースという場所で生まれました。弟とは全く違う人生を歩んだものの、キャリアの出発点はやはり政治。1886年にサンクトペテルブルク大学の法学部に入学した翌年にはアレクサンドル3世暗殺計画に巻き込まれて樺太(サハリン)へ流刑されてしまいます。この流刑地での日々が、ポーランドとは全く違う、地球の反対側にいながらも弟と同じ太陽の下で活躍し“ピウスツキ”の名を残すきっかけになります。
 

最初は重労働をやらされていたブロニスワフですが、学歴の高い人間だと知られた後は、現地の行政機関で働くよう命じられます。そして、アイヌを含め、樺太の原住民たちの厳しい暮らしを目の当たりにした彼は、教師としての仕事も開始。彼らの生活環境の改善に努めます。
 

アイヌ文化の研究で注目を集める
流刑からおよそ10年後、恩赦を受けてブロニスワフは流刑地を離れる権利を獲得。しかし、ヨーロッパに戻ることができないことが恩赦の条件の一つだったため、彼はウラジオストクにある博物館のキュレーターとして勤め始めます。その仕事の一つは、1900年のパリ万国博覧会で開催される「アムール川地域プログラム」の準備でした。プログラムの中でブロニスワフが担当していたアイヌ文化の展示は高い評価を受けます。
 

1902年、ブロニスワフはアイヌの研究を行うために、再び樺太を訪問。南部にある集落・アイ(日本名:栄浜村相原)で村長バフンケの従妹チュフサンマと結婚し、息子一人と娘一人をもうけます。翌年は、アイヌの研究を深めるために北海道に向かい、数カ月滞在。1905~1906年の間には2回日本を訪れ、小説家・翻訳家の二葉亭四迷と出会い、彼と共に「日本・ポーランド協会」を設立します。ブロニスワフはチュフサンマを連れて、ヨーロッパに戻ることを計画していましたが、アイの村長に反対され、家族と離れ離れになってしまいます。その後、アメリカを通して、ヨーロッパへ。ポーランド、スイスで暮らしました。
 

流刑地での学びの成果が後世に語り継がれる
現在、ブロニスワフはアイヌの言葉と文化の研究と、その維持に大いに貢献した学者として評価されています。ブロニスワフはアイヌ語の表記解明や、アイヌのお祭りや儀式の記録に留まらず、蝋管蓄音機* でアイヌ語の録音もしていました。ポーランドに戻ったブロニスワフは南部にあるザコパネで蝋管を保管。蝋管は1980年代になってから、言語学者のマイェチヴィに発見され、日本で復元されました。2013年、ブロニスワフへの感謝の気持ちを込めて北海道白老郡のアイヌ民族博物館では彼の銅像が設置されました。
 

*ワックスを材料とする円筒に、ホーンの根元の振動板に付いている針で、凹凸の溝をつけて音を記録・再生する蓄音機。
 

若い頃に政治に巻き込まれ、ぎりぎり死刑を免れて過酷な状況に生活をすることになったブロニスワフ。それでも、飽くなき好奇心と「他人を助けたい」という熱い気持ちで、苦境を乗り越えて言語の研究と文化の維持に大きく貢献しました。
 

映像翻訳者に通じるブロニスワフの生き方
彼の人生と遺したものを考えると、一つ興味深いパターンが見えてきます。ブロニスワフは写真・日記・蝋管蓄音機などでアイヌの文化を記録し、アイヌ語の表記を研究したことによって、よそ者でありながらアイヌが己の文化を理解し、受け継ぐプロセスをサポートできた、という流れです。また、ブロニスワフがポーランドで残した蝋管の復元が可能になったのは、日本の技術のおかげです。
 

尊敬の心を持ちながら異文化と積極的に接すると、その良さを世界に紹介することができます。それだけでなく、その文化の中にいる当事者が、自身のルーツを知るための手助けとして力になることもできます。
 

私たちが取り組んでいる映像翻訳やメディア翻訳は、まさに異文化の接触点。今後も日本の文化だけでなく、翻訳するメディアの母国に貢献している立場だと意識しながら、誇りを持ってこの道を進んでいきたい。
 

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Written by カイェタン・ロジェヴィチ

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ポーランド出身。ヤギェウォ大学言語学部日本学修士。同大学大学院在学中にインターン生としてMTCに勤務。現在はJVTAで、日英映像翻訳ディレクターとして企業PR映像などの翻訳プロジェクトを手がける。

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[JVTA発] 発見!キラリ☆ 8月のテーマ:太陽
日本映像翻訳アカデミーのスタッフが、月替わりのテーマをヒントに「キラリ☆ と光るヒト・コト・モノ」について綴るリレー・コラム。修了生・受講生にたくさんのヒントや共感を提供しています。

 
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