発見!キラリ「一筋の光は映像翻訳だった!」
9月のテーマ:光
受講生・修了生の皆さんの中には「映像翻訳との出会いで道が開けた」という方も多いのではないでしょうか? ――私も同じです。ここでは、幼少期からおよそ20年をアメリカで過ごし、帰国後の“撃沈”期を経て、映像翻訳と出会った私の道のりをご紹介したいと思います。
私は福島県会津若松市に生まれ、生後間もなく父親の転勤で渡米し、大学を卒業するまで20年近くアメリカで暮らしました。平日は現地校、土曜日は日本人学校に通い、家では日本語、外では英語漬けの毎日…。「バイリンガルでいいね」と言われることがありますが、子どもの頃は何がいいのかさっぱり分からず、とにかく日本語で苦しんだ思い出ばかりです。現地校の勉強に追われ、補習校では周りについていけず親にビシバシ指導されながら、毎晩のように泣きながら漢字ドリルと格闘していたのを今でも鮮明に覚えています。学年が上がるにつれて日本語に対するアレルギーは悪化する一方で、高校に上がると補習校ではとうとう日本語のできない“ダメな子たち”のクラスに入れられます。さすがにショックでした。
●少年時代の筆者(写真右)
皆さんのなかにも同じような体験をされた方(もしくはお子さん?)がいるかもしれませんが、“日本語離れ”の現象は言語に留まる問題ではないですよね。私の経験では、日本語から遠ざかると同時に、日本という国と文化への関心、日本人としてのアイデンティティーも比例して薄れていきました。あと一息で卒業できた補習校は高校の途中で辞めて、最終的には家族だけが本帰国することになり、私は単身アメリカに残り大学へ進む道を選びます。
ところが、大学で日系人や日本人留学生との交流が増えると、自分の中で日本人の心みたいなものが初めて芽生え、その気持ちは次第に強まり、卒業後は日本へ帰国することを決心しました。親の猛烈な反対を押し切り、デンタルスクールへの進学内定を辞退するという決断でした。
若気の至りもいいところですが、結果として今のキャリアにつながったので後悔はしていません。もちろん、帰国直後は撃沈しました。当然ですよね。まともに日本語も使えず周りに溶け込めるはずもなく、すぐに就ける仕事といえば英会話の講師くらい。帰国したからには日本語を磨ける仕事でないと意味がないと考え、辿り着いたのが映像翻訳でした。映画やテレビは昔から好きで、それに加えて英語と日本語の両方に触れていたい自分にとっては理想の仕事だったのです。それからというもの、生まれて初めて日本語と真剣に向き合い、プロの映像翻訳者を目指して必死に勉強をする日々が続きました。帰国して早12年、今こうしてまたアメリカに戻って、映画やストリーミングサービスの中心地、ロサンゼルスで翻訳の仕事を続けていると思うと感慨深いです。
【もっとキラリ!】
先日、ロサンゼルスにある、かつて私が通っていたような補習校「あさひ学園」様で映像翻訳の講義をさせていただきました。みんな本当に真面目でいい子! やりがいのある、楽しい仕事でした。その様子について詳しくレポートしましたので、こちらもぜひご覧ください。
『完璧なバイリンガルの“育て方”Do’s and Don’ts』
https://losangeles.vivinavi.com/ls/jvtacademy/35
7月21日はトーランス校高等部にて、外部講師としてJVTA日本映像翻訳アカデミーの相原拓様をお迎えし、特別授業を行いました。アニメ映画を観ながら、その場で翻訳し、映像に反映する職務について、生徒達は大変興味を持っていました。たくさん質問をし、積極的に授業に参加していました。 pic.twitter.com/bDQOpKvEY4
— あさひ学園 (@asahigakuen) 2018年7月27日
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Written by 相原拓
あいはら・たく●2010年、日本映像翻訳アカデミーを修了後、東京本社に入社。受発注部門にあたるMTC (メディア・トランスレーション・センター) にて映像翻訳者兼映像翻訳ディレクターを務めた後、2016年にロサンゼルス支社のマネジャーとして就任。その傍ら、講師として留学生や米国在住の受講生を指導するほか、映画やテレビ番組などの英日・日英映像翻訳の実務を指揮する。
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[JVTA発] 発見!キラリ☆ 9月のテーマ:光
日本映像翻訳アカデミーのスタッフが、月替わりのテーマをヒントに「キラリ☆ と光るヒト・コト・モノ」について綴るリレー・コラム。修了生・受講生にたくさんのヒントや共感を提供しています。
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