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【コラム】JUICE #11「“上手い”とは」●斉藤良太

【コラム】JUICE #11「“上手い”とは」●斉藤良太

シンガーソングライターの泉谷しげるがロックバンド「エレファントカシマシ」のボーカル・宮本浩次の前で、宮本が作詞作曲を手がけた曲「今宵の月のように」を歌うのを、テレビで見たことがある。
 


 

“エレカシ”を歌う泉谷しげると、最近のカラオケ番組
その番組は泉谷自身がホストを務めるもので、彼は二回り近く年下の後輩である宮本に、柄にもなく、とても恐縮しながら歌っていた。
 

原曲を知らない人が聞いてもキーが外れていたり、リズムがずれていることが一聴して分かる。お世辞にも「上手い」歌ではなかった。まるで音楽を始めたばかりの高校生が、大好きなアーティストの前で一生懸命コピーした曲を披露するような姿だった。
 

しかし自分には、この映像が、ただの「荒くれ者のオヤジ」の代表格だった泉谷しげるを、リアルな一人のアーティストとしてリスペクトするきっかけとなったのだ。
 

“のど自慢”の一般人が熱唱する姿の下に、その音程が画で表示されるカラオケ番組。点数で勝ち上がった者が勝者となる。
 

“上手い”って何だろうか?
 

「(歌う人の下に音程を映すことに)何の意味があるのだろう」と気になって、5分と見ていられなくなる。これが音楽に対して、アーティストに対しての人々の価値観なのだろうかと思うと、恐れを感じてしまう。まるで、音楽をデータとして捉えて、データが感性を覆ってしまうような――。
 

例えば、レコーディングの世界では録音した音がその場で「波形」として視覚的に確認でき、音程もリズムも全て数値化される。さらに分析され、(市場に)「ウケる」方向に向かって、作曲の作業はロジカルに進んでいく。世に音楽を送り出す「プロ」はロジックを確実に音楽に反映させ、それを正確に再現できるアーティストが重要視される。
 

その価値観からいうと、前述のカラオケ番組は分かりやすい。音楽制作のプロが、ふだん彼らが音楽制作を行っている際の過程を取り入れ、将来のプロを発掘している。
 

泉谷しげるが宮本浩次の前で歌う姿の話は、この「プロ」とは対極にあるような話だろう。しかし、こうも思う。泉谷だって一流の〈プロ〉だ。きれいに歌い上げるだけの歌い手にはない、テクニックの不足をカバーしてあり余る、とてつもない大きな〈何か〉を発している。自分はそれに心を動かされてしまったのだ。
 

人の心に訴える〈何か〉
音楽を奏でる楽器にも、同じことがいえるかもしれない。製品である以上、品質は大切だ。しかし、必ずしも高音質なものが良いとは限らない。「良い音色」と感じるものは、人の心に訴える〈何か〉を携えている。
 

現代の楽器作りにはこんな流れもあるそうだ。いまの技術であれば“音響特性”も良く、音質の良いものはいくらでも作れる。だが、あえて50年以上前の楽器の音質を現代の技術で再現しようというのだ。発展途上で、レンジの狭い、チープともいえる音質だが――。
 

人であれ、モノであれ、心を動かされるものには〈何か〉が歴然として存在すると思う。世の中の「天才」といわれる人は、努力で得た実力の他に、その〈何か〉を感覚的に理解し、アウトプットできる力があるのだろう(ただ、人々はそれを“意図的に”行なっていると分かれば冷めてしまうこともある)。
 

あの時、テレビで見た泉谷しげるの歌。こんな思いとともに、今でも自分の耳に残っている。
 

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Written by 斉藤良太
 

さいとう・りょうた●日本映像翻訳アカデミー・管理部門スタッフ。日英映像翻訳科修了生。

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