【コラム】JUICE #24「スパイスカレーと字幕は似ている」●先崎 進
留学先で食べたカレーに感銘を受けて以来、かれこれ20年以上スパイスカレーを作り続けている。スパイスカレーとは市販の固形のカレールーは使わずに、自分でスパイスを挽いて作るカレーのことだ。
最初は、現地で食べていたカレーを日本でも半永久的に食べたいと思って始めたことだったが、スパイスが作り出すおいしさとその背後にある多様な文化や世界に魅せられて、カレー作りはいつしか私のライフワークの一つとなった。職場の同じビルに勤めるインド人(同僚ではない)と親しくなり、彼の奥さんから作り方を習ったり、40年のキャリアを誇るパキスタンの巨匠からウルドゥー語の会話集を片手に教えを乞うたこともある。今でも月に一度は材料の買い出しに新大久保の専門店を訪れている。たまに友人とカレーパーティーをするときも、ヨーロッパの友人の家で料理を振る舞う機会があるときも、皆一様に驚き喜んでくれる。お金もさほどかからないのも魅力だ。
だが、作り始めて10年ほどが経ったときに、自分の中の壁にぶち当たった。できあがったカレーは確かにおいしいのだが、作ることに慣れてくるにつれて、おいしいけれども何のカレーを作っても同じような味になってしまうようになった。さらにおいしくしようと、いろいろな材料やスパイスを加えても、ますます“何か違う”のだ。手順を見直して、習った通りにやっているつもりでも、思った通りの味にならない。そして何年もの間、私のスパイスカレー作りは迷走した。
その迷いから抜け出すきっかけを与えてくれたのは、意外にも字幕翻訳だった。私はトライアル合格に向けて、とにかく映画やドラマ、ドキュメンタリーを見まくり字幕翻訳で必要な要素をリスト化して分析した。その中でも特に難しいと思えたのが「情報の取捨選択」だ。個人的な印象だが、いろいろな国の字幕を見比べてみて日本語字幕は他の国の言葉とはかなり異なる。ヨーロッパ語圏では、話している言葉をかなり機械的に・文法通り・文字取りに置き換えたような字幕になっている。それに対して日本語字幕は「1秒4文字」という制約からすべてが出発している。使える文字数が圧倒的に少ないのだから、すべての情報は絶対に入られるはずがない。この制約さえなければ、訳文づくりでこんなに苦しむはずはないのだ。
どうやって皆がその問題を解決しているかを探るべく、私は映画・ドラマ・ドキュメンタリーなどを100本ほど見てみた。あくまでも個人の感想だと断っておくと、その中でも自分が特に上手いと感じる字幕は、他の人が誰も知らない難しい言葉や人目を引くようなドラマチックな表現を使っているわけでもなく、シンプルであると同時に全体を通して文字数が少ないものだった。「1秒4文字」の制約を逆手に取ったかのように、物語全体を見極めて本当に必要な情報だけで字幕を構成している。余計な要素をそぎ落としているから、流れがクリアで読んでいても疲れない。「少ないからこそむしろ伝わる」:これは日本で独自の進化を遂げた字幕文化の美学だと思う。
カレーに話を戻そう。「とにかく多くの種類のスパイスをふんだんに使えば、おいしくなるだろう」と私は考えていたふしがある。だが、スパイスにはそれぞれ個性があり、その個性や主張も考慮せずにただ闇雲に一緒に加えても、個性を打ち消しあって何の味だか香りだか分からないカレーになってしまう。パキスタンの巨匠は、不必要なスパイスを加えすぎずいつも絶妙のバランスでカレーを提供してくれていたことにそこでようやく私は気づいたのだった。大切なのは最終的な完成形をイメージした上で、本当に必要なスパイスだけを明確な意図をもって使うことだ。不必要と思われるスパイスは加えないからこそ、入れたスパイスの香りが際立つのだ。
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Written by 先崎 進
せんざき・すすむ●メディア・トランスレーション・センター(MTC)ディレクター。主にドキュメンタリー案件の受発注を担当する。主な映画作品は『ソニータ』『アレッポ 最後の男たち』など。
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