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【コラム】JUICE #28「そして母と娘は花のサンフランシスコを巡る」●藤田奈緒

【コラム】JUICE #28「そして母と娘は花のサンフランシスコを巡る」●藤田奈緒

LAXから1時間20分。サンフランシスコ国際空港に降り立つと、数カ月ぶりに会う両親の笑顔が待っていた。高速鉄道BARTに揺られて市内に到着。エスカレーターを昇りきると、一面の青い空をバックに走る路面電車。懐かしい景色が広がっていた――。
 

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(写真)左から時系列に1973年 > 1999年 > 2015年
 

初めてサンフランシスコを訪れたのは大学2年生の夏、2週間の短期語学留学での滞在だった。もう十数年も前のことなのに、なぜだろう。きっとその2週間に“初めて”がいっぱい詰まっていたから、その夏の記憶はあまりに鮮明で今でも詳細に思い出せる。
 

初めて出会ったヨーロッパ人、スイス人、ドイツ人、イタリア人。初めて外国でお酒を買ったこと(子どもに見えないか冷や冷や)。フランス系のホストマザーの食事会で、各国から来たゲストの出身国を変えてジョークにする流れになり、自分だけウケなかったこと(唯一のアジア人で誰もピンとこなかった模様)。当時まだ日本では珍しかったスターバックスで初めてホットコーヒーを頼み、ふたの穴に困惑してストローを挿そうとしたこと(当然入らない笑)。初めての長距離ロードトリップでヨセミテ国立公園に行ったこと。大きなセコイアの木のことを、一緒に行ったスイス人が“I could feel the trees were wise.”と表現したのを聞いて、なるほどと感心したこと。
 

さまざまなシーンがなぜかBGM付きで思い出される。ホームステイ先で出会ったイタリア人の女の子に教えてもらったイタリア人歌手Jovanottiのラップ(英語が話せないその子とのコミュニケーションは音楽だった)。クラスメートとモールからの帰り道に口ずさんだMR.BIGの”To Be With You“(さすが世界共通! と感動)。ヨセミテへ車で向かっていた時、ラジオから流れてきたSixpence None The Richerの“Kiss Me”(大学のバンドサークルでカバーしたばかりだった)、などなど。
 


 

そんな初々しい青春の思い出残るサンフランシスコに、数年前、再び訪れるチャンスが来た。2カ月の出張でロサンゼルス滞在中、ナパのワイナリーへ行くという両親の旅に合流したのだ。私にとって16年ぶり、母にとってはなんと42年ぶりの再訪だった。当時23歳の母はYMCAのプログラムでサンフランシスコにやってきた。1970年代のサンフランシスコといえば、ヒッピームーブメントの名残を残し、LGBTカルチャーが盛り上がっていた頃。広場に腰を下ろしギター片手に歌う若者グループの仲間に入れてもらったり、タクシーの運転手さんにマリファナを勧められたり(笑)、母もこの地でたくさんの“初めて”の思い出を作ったらしい。

※雰囲気を味わいたい方にはNetflixの『テイルズ・オブ・ザ・シティ』がオススメ。主人公が数十年ぶりにサンフランシスコを訪れる『メリー・アン・シングルトンの物語』とあわせて観るとなお一層楽しめます。
 

この旅で私たちは、それぞれが昔訪れた海辺の街、サウサリートを再訪し、母がお茶をした(と主張する)レストランで食事をすることができた。さらに新たな“初めて”も共に経験した(Uberに初乗り)。
 

あれから数年、今でも誰かがイタリアに行ったと聞けば、Jovanottiのラップとイタリア人の女の子を思い出し、サンフランシスコを思い出す。そして20歳の自分を飛び越えて、23歳の母の姿を思い浮かべる。はるか昔の母の思い出までもが自分の思い出と混じり合ったかのような、不思議な感覚だ。
 

そして想う。世界は広い、そしてつながっている。
 

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Written by 藤田奈緒
 

ふじた・なお●日本映像翻訳アカデミー講師。受講生・修了生サポート部門リーダー。同校を修了し、映像翻訳者としてキャリアをスタート。その後、修了生のための就業支援部門「メディア・トランスレーション・センター(MTC)」でディレクターを務め、現職に至る。UNHCR難民映画祭の字幕制作総合ディレクター、明星大学非常勤講師としても映像翻訳の指導を行う。
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