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【コラム】JUICE #57「お菓子づくりから見る映像翻訳」●先崎 進

【コラム】JUICE #57「お菓子づくりから見る映像翻訳」●先崎 進

私がお菓子好きなのは、母の影響であることは間違いない。小学生の頃、学校から帰宅するとクレープやスコーン、パウンドケーキやアップルパイなどのお菓子を母は毎日のように用意してくれていた。しかし私が特別いいとこのお坊っちゃんだったかというと決してそうではない。当時は近所に洋菓子を売っているような製菓店などはほとんどなく、今のようにコンビニでスイーツを手軽に買える時代ではなかった。だから当時、我が家で食べていたお菓子はほとんどが母の手作りだった。
 

40年ほど前、近所の喫茶店でクレープが1つ500円(当時はまだ硬貨ではなく、岩倉具視の肖像が入った紙幣)だったそうで、母は何週間も迷って店に入りいざ注文するのにも相当勇気がいったそうだ。私は覚えていないが、クレープを1つだけ注文して子どもたちと分けあって食べたのだとか。実際に食べてみて“これがもし自分で作れたら…”という思いがすぐに頭をよぎったそうだ。NHKの料理本にクレープの作り方が掲載された時は狂喜乱舞したという話はもう何度聞かされたか分からない。我が家は男3人兄弟だったので、“誰が食べたとか、食べてないとか、そんなさもしいことで兄弟ケンカさせたくない”という思いが、母をお菓子作りの達人にした。限られた予算でも創意工夫で子どもたちにいつも美味しいお菓子をお腹いっぱい食べさせてくれた母に、私は今でも感謝している。
 

私は小学生の5~6年生の頃にもなると、見よう見まねでいろいろなお菓子を自分で作るようになっていた。家にある材料で食べたいものをいつでも好きなだけ作れるのであれば当然だ。それから30年以上たった今でも食べたいお菓子は自分で作っている。ただ、最近は映像翻訳者の職業病と言うべきなのか、お菓子作りから映像翻訳との共通点を感じることがあるので今回はそれをご紹介したいと思う。
 

私が本当に美味しいと思えるお菓子に共通しているのは、素朴でありながら素材の良さが伝わってきて、何度食べても飽きがこないものだ。人目を引くような美しい装飾がされたものや、個性的な味付けのお菓子をたまにいただくが、不思議とそういうお菓子は美味しくてももう一度食べたいとは思わない。シンプルに分かりやすく素材の良さを出すことに尽きる。
 

お菓子は一口食べた瞬間「美味しい!」と思えることが大切だ。商品として売られているお菓子に関していえば、美味しくて当たり前。だが、私たちの口に入るまでにどれだけの苦労や努力が積み上げられているかなど、私たちは想像もしない。いや、作る人間の手間や苦労など味わう人に微塵も悟られてはいけないのだ。食べた人がただただ「美味しい!」と夢中になれるのが、本当にいいお菓子である。
 

作り方を知っている、もしくは人から教えてもらっただけでは本当に美味しいお菓子はできない。パティシエにしても翻訳者にしてもプロになる人は基本的な技術を最初に習ったあと何千回、何万回という練習を人知れず積み重ねているはずだ。頭で理解しているだけでなく、感覚的に反射的に捉えられるようになるまで繰り返し練習することが大切である。
 

過度に失敗を恐れてはいけない。人は失敗から学ぶ。一生懸命チャレンジした結果、失敗してしまうことのほうが、失敗しないことよりもずっと創造的(クリエイティブ)だと私は思う。失敗に費やした時間は決して無駄ではない。そうして手に入れた経験や知識は、自分にとって揺るぎないものとなるのだから。
 

「シュークリームを食べれば、その店のレベルが分かる」と言われるくらい、シュークリームはシンプルでありながらもとても奥が深い。材料は、小麦粉、卵、砂糖、牛乳、バターなどの最小限の材料でできる基本的なお菓子だが、ごまかしがきかない。ドキュメンタリーはいわば映像翻訳のシュークリームだ。ドキュメンタリーの訳し方を見れば、その人の翻訳の技量が見えてくる。映像翻訳に必要な要素が詰まっているからだ。
 

“うまくできない”と悩んだ時、私たちは目先の技術や手順を意識しがちだ。それは間違いではないが、もっと大事なことがある。それは“届けたい人を思って作ること”だ。誰かに食べてほしい、届けたいと願って作るお菓子や字幕には不思議な魔力が宿る。経験や技術は関係ない。残念ながら、いまだにそれが何なのか明確に言葉で説明することができない。それは人が何かを創り出す時に宿る神秘的な力だ。もしも訳文づくりに迷った時は、“誰に一番見てほしいか”“これを本当に届けたいか”思いを巡らせてほしい。たとえ完璧でなくても、きっと最高の訳文になるはずだ。
 

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Written by 先崎 進
 

せんざき・すすむ●メディア・トランスレーション・センター(MTC)ディレクター。主にドキュメンタリー案件の受発注を担当する。主な映画作品は『ソニータ』『アレッポ 最後の男たち』など。
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