【コラム】JUICE #66「言葉の顔色をうかがってみればわかる」●石井清猛
“新しい生活様式(=new normal)”が世界中の人々にとって等しく大きな関心事となっている今となっては、もはや遥か遠い過去、ほとんど別世界の話になってしまった感がありますが、今年の3月にJR東日本の山手線に新しい駅が誕生しました。当時私の印象に残ったのは、ニュースやSNSで駅の看板に使われているフォントが取り沙汰されていたことです。いわく「見づらい」とか「イメージに合わない」とか。鉄道の駅が新設された時に話題にされるのが看板のフォントの妥当性だったというのが、なんとも切なかったのですが、同時に「やっぱり、みんな意外と気にしてるんだ、フォントのこと」と興味をかき立てられたのを覚えています。
文字というのは読めればいい、伝わればそれで十分、むしろ何を書くか、どんな表現(=expression)を使うかが重要だという見方もありつつ、一方でその書体、フォントの持つ役割や影響というのも広く認められてきました。中身はもちろん、見た目も大事ということですね。言ってみればフォントは言葉の表情(=expression)で、私たちは言葉の様々な表情や顔色から実にいろんな情報や意味を読み取っている、感じさせられているということでしょうか。
そう考えるとプレゼンテーションのスライドや商品や会社名などのロゴタイプに使うフォントの選び方やその効果について書かれた本がたくさんあるのもうなずけます。よりインパクトのあるメッセージの発信やブランディングのために、フォントが人間の心理に与える影響力を活用している例は枚挙にいとまがありません。
映像翻訳には言葉を翻訳してテキストとタイミングのデータを納品すること以外に、映像に字幕を焼きつける仕事というのもあって、その際に何のフォントを使うか、どのサイズで、どの位置にするか、判断を求められます。最近は劇場用であれ放送用であれ、日本語なら丸ゴシック系のフォントがスタンダードなので、まあ、それほど選択の幅が広いわけではないとはいえ、手描きの字幕風フォントがあったりして、万感の思いを込めてそういった特殊フォントを選ぶケースもあるわけです。
その点、昨今盛り上がりを見せている動画配信プラットフォームの場合は少々事情が異なっていて、言語オプションのために映像に字幕が焼き付けられていない状態で配信される場合が多く、技術的な理由からフォントもゴシック系で統一されています。ただ、字幕で使うフォントのオプションは少なくても、配信する作品のタイトルのフォントはバラエティに富んでいるようです。“フォント心理学”なるものを応用してネットフリックス作品を紹介しているブログがあって、それを読むと私たちの気分が言葉の表情にどれだけ影響を受けているか、よくわかります。(https://venngage.com/blog/font-psychology/)
(ちなみに、記事中にありますが、ネットフリックスはNetflix Sansと呼ばれる自社オリジナルのフォントを持っているらしい)
私が映像翻訳に引かれるのは、それが文字であれ音声であれ映像と一つになった言葉だからという点に尽きます。イメージも文字も、そして声も、単独で私たちの感情を揺り動かす力を持っているとするならば、それらすべてと同時に出会った時に一体どんな事態が起こってしまうのかこの目で見届けてみたい。そんな気持ちでいる限り、私はこれからもついつい言葉の顔色をうかがってしまうのをやめられそうにありません。
そういえば、文字でいうフォントは、音声で言えば声質にあたるのでしょうか…ね?
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Written by 石井清猛
いしい・きよたけ●映像翻訳チーフ・ディレクター、および本科講師を務める。英日・日英翻訳のディレクションや海外映画祭での特別上映、ワークショップの企画を手がける。青山学院大学総合文化政策学部「映像翻訳ラボ」ではショートショートフィルムフェスティバル、UNHCR WILL2LIVE映画祭での上映作品の字幕指導をサポート。
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「JUICE」は日々、世界中のコンテンツと対面する日本映像翻訳アカデミーの講師・スタッフがとっておきのトピックをお届けするフリースタイル・コラム。映画・音楽・本・ビデオゲーム・旬の人、etc…。JVTAならではのフレーバーをお楽しみください!
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