【スタッフコラム】Fizzy!!!!! JUICE #23
音符とセリフの関係●板垣七重(MTC映像翻訳ディレクター/講師)
家で過ごす時間が増えた1年ほど前から、趣味のバイオリンをほぼ毎日練習するようになった。昔使っていたクラシックの楽譜を押入れから引っ張り出してきて、月1回のレッスンを受けながら、自主練習を繰り返す。今練習している曲はヴィヴァルディの協奏曲。この曲にとにかく苦戦している。自分なりに練習しては、今度こそ先生のOKをもらおうと意気込んでレッスンに行くものの、毎回ダメ出しをされてやり直し。決して練習を怠けているわけではないのに合格点がもらえない。それがもう何か月も続いている。
「楽譜の音符を追うだけでせかせか弾いても聴き手に何も伝わらない」
前回のレッスンで先生に言われてとりわけ響いた(ショックだった)言葉だ。ヴィヴァルディの協奏曲には和音が複雑に織り込まれている。和音とは、「ド・ミ・ソ」など複数の高さの異なる音の組み合わせで、どういう和音になっているかで聴き手にさまざまな感情や印象を呼び起こす。気分を高揚させる和音もあれば、夢も希望もないと思わせる和音もある。これから何かが始まると期待させる和音や、物語が終わることを知らせる和音もある。曲をしっかり表現するためには、演奏者は曲の構成に沿って音に乗せる感情を変化させなければならない。
ふと、音楽の演奏と映像翻訳はとてもよく似ていると思う。映画に無駄なセリフはひとつもないように、楽譜にも無駄な音はひとつもない。映画のストーリーを他の言語で再構築する映像翻訳では、ひとつひとつのセリフの意味、そして作品全体の構成を理解することが欠かせない。作曲家が楽譜に落とし込んだ音楽を自分の楽器で再構築するには、ひとつひとつの音符の意味、そして曲の構成を理解しなければならない。部分についても同じことが言える。映画やドラマの各シーンには必ず核となる台詞があると言われる。そしてその台詞には特にインパクトの強い言葉を使う。曲を演奏するときも、複数の音の集合体であるフレーズの中には強調するべき音があり、その音は特に丁寧に弾かなければならない。
こうして考えてみると、音符を追いかけることばかりに気を取られていた私は上滑りする音しか出せていなかったのだと気づく。映像翻訳者も演奏者も、すでに存在するものを自分の言葉や楽器を媒介にして再現し、伝える役割を担うのだから、作品や楽譜にいつも寄り添っていなくてはならないのに。今日からは、音符や小節ひとつひとつが重要なセリフで、曲はひとつのストーリーなのだと意識しながら弾いてみようと思う。そしたら次こそは先生のOKがもらえるかもしれない。
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Written by 板垣七重
いたがき・ななえ●映像翻訳ディレクター。日本映像翻訳アカデミー修了生。課外講座「120分でマスター! 最強の調べもの術」などの講義も受け持つ。
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