中島唱子の自由を求める女神 第1話 「自由を求める女神」
中島唱子の自由を求める女神
Written by Shoko Nakajima
第1話 自由を求める女神
ニューヨークに住みだした頃、悲鳴をあげるほど怖いものがあった。
それは、地下鉄のプラットホームを駆け抜けるドブネズミと、ハドソン川にそびえ立つ「自由の女神」の存在だ。
JFK空港からブルックリン橋を渡り、ニューヨークの中心マンハッタンへ向かう時、巨大なニューヨークの摩天楼が見えてくる。「これぞ、ニューヨークビュー」とワクワクするそのスポットを通る度に、今でも私はぐっと歯に力をいれて目をつぶる。
この景色のすぐ近くに鳥肌が立つほど、観てはいけない、ゾッとするものがある。それは、ニューヨークの玄関口に悠々とそびえ立つ「自由の女神」の存在である。
昔、修学旅行中、はじめて大仏を見た時も、悲鳴をあげたくなるほどの恐怖を感じた。それ以来大きな銅像を見るたびに震えるようになった。
『自由の女神』をニューヨークで見てしまった時、同じ症状が私の身に起きてしまう。上野の西郷さんぐらいまでの銅像は平常心を保てた。しかし、巨大な銅像をみてしまうと毛穴がひらいて叫びたくなる不思議な恐怖だ。夜景でライトアップされたその姿をみたら、もはや想定できないレベルの恐ろしさである。しかも、彼女は青くて顔色も悪い。
1996年の冬。私がはじめてニューヨークで暮らしたこの年は、記録に残るほどの大寒波だった。街はクリスマス前でどこもイルミネーションが綺麗で、観光客や、買い物客で賑わっていた。慣れない街で暮らしだした最初の冬。ワクワクと不安と緊張といつもこの三重奏が気持ちの中に充満していてクリスマスソングなんて耳に入ってこない。ニューヨークの巨大な建物の隙間から覗く小さい空。路上のあちらこちらでみかけるホームレスたち。
街の中を地図片手にただ歩き回っていただけなのに、クリスマスが終わった頃には、もうすでに心の中のワクワクはすっかり消えていた。不安だけの心模様である。ニューヨークに来てしまったこと、この街を留学先に選んでしまったことを心の底から後悔した。文化庁の派遣芸術家在外研修員として「家族に不幸があったとしても、研修先から日本へは帰国しないように」という厳しい条件のもとでこの街にやってきた。下調べもせず、一回も訪れた事もないニューヨークを何故、選んでしまったのだろう?ここへ来てしまった自分の無計画さにも腹が立った。しょんぼりブルックリンブリッジを一人北風に吹かれながら歩いていると、デビルマンのようにそびえ立つ「自由の女神」が見えてくる…。あれから26年。その後、アメリカ人の主人と出会い、結婚し、今もニューヨークで暮らしている。あの時の心細さと不安の気持ちが重なり、今も「自由の女神」をまともに見ることができない。
Written by 中島唱子(なかじま しょうこ)
1983年、TBS系テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』でデビュー。以後、独特なキャラクターでテレビ・映画・舞台で活躍する。1995年、ダイエットを通して自らの体と心を綴ったフォト&エッセイ集「脂肪」を新潮社から出版。異才・アラーキー(荒木経惟)とのセッションが話題となる。同年12月より、文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに留学。その後も日本とニューヨークを行き来しながら、TBS『ふぞろいの林檎たち・4』、テレビ東京『魚心あれば嫁心』、TBS『渡る世間は鬼ばかり』などに出演。
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