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中島唱子の自由を求める女神 第5話「空振りのメトロカード」

中島唱子の自由を求める女神  第5話「空振りのメトロカード」

中島唱子の自由を求める女神

 

中島唱子の自由を求める女神
Written by Shoko Nakajima 

第5話 空振りのメトロカード
言語の壁、人種の壁、文化の壁。自由を求めてアメリカへ。そこで出会った事は、楽しいことばかりではない。「挫折とほんのちょっとの希望」のミルフィーユ生活。抑制や制限がないから自由になれるのではない。どんな環境でも負けない自分になれた時、真の自由人になれる気がする。だから、私はいつも「自由」を求めている。「日本とアメリカ」「日本語と英語」にサンドウィッチされたような生活の中で見つけた発見と歓び、そしてほのかな幸せを綴ります。

 

「10トークン、プリーズ!!」ニューヨークで暮らしだして、一番初めに私が覚えた英語のフレーズである。
この街に住む限り、地下鉄とバスを乗りこなせないと暮らせない。

 

ニューヨークの地下鉄の利用は複雑である。東京の地下鉄並みに東西南北に入り組んでいる。

 

週末になるとあちらこちらで改修工事が行われダイヤが乱れる。そして、ニューヨークは電車での飲み食いは当たり前。ダンス集団が乗り込んできてアクロバットやポールダンスのショーが始まったり、バンドが楽器ごと乗り込んできて演奏が始まったりもする。ちょっと楽しい気分で、興味本位に一緒に盛り上がると、ショーの後、投げ銭を催促されてしまう。決して、無料のショーだと思ってはいけない。妙に空いている車両だと思って、乗り込んだら、ホームレスが座席でお昼寝中。一挙に異様な匂いが漂よって、一駅ごとに、乗客が逃げていく。まさしく、ニューヨークの地下鉄はカオスそのものである。

 

新居が決まって、部屋が整ったころ、語学学校に通いだした。月曜日から金曜日までの集中クラスである。
高校卒業以来、学校とは無縁の生活だった。早起きして、通勤の人たちと電車に乗り込み学校へいく。何気ない日常をニューヨークで体験できることが嬉しかった。街のスピードや慌ただしさが体感出来て心は一挙にニューヨーカーに近づいていく。足元はスニーカーで、トレンチコートを着込み、新聞片手にウォール街に向かいたくなる。

 

そんな夢心地な気分で最寄りの駅に向かっていると、背後から「唱子ちゃん!」と元気な声が聞こえた。振り返ると大きな笑顔の美代子さんだ。
美代子さんも職場に向かう途中で駅の改札で一緒になった。
「トークン」をポケットから取り出し、それを見ていた美代子さんが「あら、ヤダ~唱子ちゃん。まだトークン使っているの?私はもう、コレよ」とメトロカードを顔の脇にかざして得意顔である。

 

トークンとは切符の代わりの仮想貨幣の事で、一円玉よりやや大きく、五円よりも小さい。
開札口をくぐるときにこのコインを投入すると入り口のバーが一人分動く。

 

ニューヨークの地下鉄の開業は1904年。日本がまだ、明治の時代である。開業から長いことこのトークンが切符がわりになっていたのが、1994年にメトロカードが誕生した。翌年の95年には一挙に普及した。今思うと、当時は、地下鉄の長い歴史の大きなターニングポイントの時期だったのかもしれない。

 

学校の帰り道、メトロカードを早速購入してみた。改札口でカードをスライドさせて入場するが、なかなかバーが開かない。何度もエラーとなり、その日はあきらめてポケットに入っていた残りのトークンを使って電車に乗った。

 

翌朝、また最寄りの駅の改札で美代子さんを見かけた。もう構内で電車を待つ美代子さんに向かって大きくメトロカードかざしながら、ニューヨーカー気分でカードをスライドさせる。全身の体重でバーを動かそうとしても、「Go」の緑のサインが点灯することなく、バーが動かない。
その様子を見ていた美代子さんが、「唱子ちゃん、カードをスライドさせるのが速すぎるのよ。もう少しゆっくり。」美代子さんの助言どおり、ゆっくりとスライドさせてみても、やはりバーは開かない。
「遅すぎる。もう少しだけ早く。」もうその時点で冷や汗が噴き出し、もはやどのスピードでメトロカードをスライドさせているかもわからない。半ばパニックである。後ろを振り返ると、舌打ちしてイライラしているニューヨーカーたちが「ふえるわかめちゃん」のように一挙に増幅していく。そこからはもう真っ白な状態で、やっと改札口のバーが開いてくれた。
美代子さんは、構内のプラットホームでお腹を抱えて笑っている。冬なのに、顔から汗がどっと、噴き出した。「ニューヨーカーは一日にして成らず」そんな言葉を心の中でつぶやきながら、プラットホームに入ってきた通勤電車に乗り込んだ。

 

混みあう車内の中で人々に背を向けて、窓際に立った。コートのポケットからハンカチを取り出し額の汗を拭く。ふと車窓の外に目を向けると、平行して走る列車が見えた。真っ暗な地下鉄の中を加速する急行列車だ。
すれ違う列車の窓から、車内の様子が、まるで映画のモンタージュのように私の目の前を流れていく。一枚として同じ風景がない。様々な人種の人たちがひとつの塊(かたまり)となって移動していく。まさしく「ニューヨーク」を象徴する風景に心が奪われた。 

メトロカードを三振してしまった私も、今、ニューヨーカーたちの大きな塊(かたまり)の中にいる。私たちを乗せた電車は、急行に追い抜かれながらも、ゆっくりとダウンタウンへと南下していく。

 

写真Written by 中島唱子(なかじま しょうこ)
 1983年、TBS系テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』でデビュー。以後、独特なキャラクターでテレビ・映画・舞台で活躍する。1995年、ダイエットを通して自らの体と心を綴ったフォト&エッセイ集「脂肪」を新潮社から出版。異才・アラーキー(荒木経惟)とのセッションが話題となる。同年12月より、文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに留学。その後も日本とニューヨークを行き来しながら、TBS『ふぞろいの林檎たち・4』、テレビ東京『魚心あれば嫁心』、TBS『渡る世間は鬼ばかり』などに出演。

 
 

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