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Tipping Point Returns Vol.13 自分という物語を描き直す(1)

Tipping Point Returns Vol.13 自分という物語を描き直す(1)

この連載を更新するまでに随分時間がかかった。1つ前のコラムを書いた後の世界の変容ぶりを、私自身どのように解釈したらいいのかわからなかったからだ。

 
窓の外にはいつもと同じ街並みが広がり、ネットをつなげば世界中の情報が飛び込んでくる。爆弾が降り注ぐわけでも、食料に飢えて彷徨う人がいるわけでもない。にもかかわらず、私たちは目に映らないものに怯え、息苦しいまでの制約の下で日々を過ごす。(心地よかった)何かが終わり、(苦痛を伴う)何かが始まったという予感。心が休まらないという人は多いだろう。

 
日本映像翻訳アカデミー(JVTA)自身も、あの震災の時とは比較にならないほどの対応を求められている。「東京校・ロサンゼルス校の全コース・オンライン化宣言」を発したのは3月初旬だった。受講生・修了生の皆さんの理解とスタッフの献身的な努力によって、予定していたすべてのクラスが開講した。
しかし、教室に受講生の姿はない。スタッフの平均出社率は30%ほどとなり、出社組は社会的距離を取り放題だ。知人からは『世の中の「巣籠り需要」で映像翻訳業界は賑やかでいいね』などと励まされるが、翻訳受発注部門からの報告には受注予定事案の「延期」や「中止」もちらほら見受けられる。経営者には通常とは異なる舵取りが求められるだけでなく、コロナ後の世界を想定した新たなビジョンの構築も不可欠だ。

 
毎朝目覚めるたびに(夢だったのか)と一瞬上がり、テレビやネットニュースを見て下がる……。それを繰り返しているうちに少しずつ削られている自分に気づいた。

私自身が現実を受けとめきれずにめまいを起こしている最中に、受講生や修了生の皆さんにどんなTipping Pointをアドバイスできるのか。それが、2,3月にペンを取れなかった理由(言い訳)である。しかし今、不安や恐れを完全に拭いさることはできないが、ある種の覚悟は定まった。それは、「自分自身が主役の物語を描き直す」ということだ。

 
人は面食らうと(ほかの人はどうするの?)と考えたくなる。それは人間の本能に根づいた反応だろう。「みんな(=社会)はこんな時に何を考えて何をするのか」を知りたくて、私たちはネットやテレビ、新聞、SNS、街の声に意識を集中し、自分は乗り遅れまい、選択を誤るまいと躍起になる。社会全体に巻き起こるこうした同調圧力はすさまじく、どんなにへそ曲がりでも、そこから逃れることはほぼできない。
マスクをしないでエレベーターに乗るなんて最悪だよね、パチンコ店に並んでいる人をなんとかしろ!という感情はいつしか合意となり、そう振る舞わない人が社会の平均像となる。コロナ以前には存在しなかった平均像が日々語られ、私たちはそれに同調していく。

 
しかし、同調化に身を任せているだけでは、実は最も大切なものを失う可能性があることに気づかない。それが「私(あなた)だけの物語」だ。

 
そもそも平均像に合致した人間なんて存在するのか。1と4と10の平均値は「5」であるように、極論すれば平均的な人間なんて一人もいないのではないか。にもかかわらず、今のような非日常に浸り、身を守ろうという意識が強ければ強いほど、メディアや街のうわさが描き出す平均像に自分自身を同調させようという力が働く。平均像に吸い寄せられるほど、「他人とは違う自分、特別な事情を持った自分」の像を見失っていく。

 
でもまだ間に合う。もしもこの連休中に時間が取れるなら、コロナがあろうがなかろうが、明日宇宙人の地球侵略があろうがなかろうが、変わらない、変えたくない「自分の物語」とは何だったのか、思いを巡らせてほしい。

 
外国語の習得に人生の多くの時間を費やし、コトバの力を信じ、スキルを磨き、社会に貢献する道を選んだ、選ぼうとしている自分。そこに至るまでに歩んだ道。特別な家族や仲間、パートナーの存在、自分だけに課した試練、掴み取った哲学……。そんなオリジナル・ストーリーに従えば、例えそうすることが周囲から異質に見えたとしても、今をどう過ごすべきかが見えてくる。
(パチンコ店に行列する人の中に、人生の一番の喜びがパチンコで、しかも医者から余命を告げられている人がいたなら何と報道されようが並んで打てばいい。例は最悪だがわかりやすく言えばそういう話だ。)

 
見えない同調化圧力はかくも凄まじく、抗うのは難しい。しかし、自分の物語を一変させるほどのものではないと信じて、次の一歩を踏み出したい。

 
(次週5月8日発行号の「自分という物語を描き直す(2)」に続く)

 
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Tipping Point~My Favorite Movies~ by 新楽直樹(JVTAグループ代表)
学校代表・新楽直樹のコラム。映像翻訳者はもちろん、自立したプロフェッショナルはどうあるべきかを自身の経験から綴ります。気になる映画やテレビ番組、お薦めの本などについてのコメントも。ふと出会う小さな発見や気づきが、何かにつながって…。
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