Tipping Point Returns Vol.5 誰が生徒か、先生か
人生というのは極論すれば生まれてから死ぬまで‘学校で過ごすこと’なのだと思っている。‘学校’で最も大事なのは文字通り学ぶことだ。そこに存在するのは‘先生’と‘生徒’である。
それは固定した地位や肩書のことではない。「何かを教える人」と「何かを学び取り成長しようとする人」という意味だ。普段は先生と呼ばれる人でも、あるシーンでは‘生徒’になる。つまり、誰もが‘先生’にも‘生徒’にもなり得る。もしも(自分はそのどちらでもない)とうそぶく人がいたら、私はこう問いかけたい。「あなたは‘先生’でもないのに、なぜ私たちに何かを主張し、押し付けるのか?‘生徒’でもないのに、なぜ何かを欲し、分け与えてもらおうとするのか?」。私には、そのような人たちと同じ社会で暮らしていく自信がない。私が人を仕分けるうえでも最も重視している価値観が「良き‘先生’、あるいは‘生徒’か。それ以外か」だからだ。地位や肩書、経歴のたぐい、ましてや富の大小などどうでもいい。そんなものは、たまたま買ったトイレットペーパーが香り付きか無香だったかの違いくらいでしかなく、私にとっては尊敬すべきか否かの物差しではない。
良き‘先生’となり、関わる人々に影響を与え、豊かな社会を作ることに貢献してほしい――。それが日本映像翻訳アカデミーで生徒になる道を選んだ方々への、私の願いだ。
修得した知識や技能を使って翻訳を仕上げ、多くの人にコンテンツを楽しんでもらうこと。それに努めている瞬間の映像翻訳者は、立派な‘先生’だと思う。もちろんそれだけではない。忙しい時間の中で必死に学ぼうとするクラスメイトの姿勢から良い影響や刺激を受けたら、そこには素晴らしい‘先生’と‘生徒’の関係が生まれている。そのように、思いつきやエゴ、偏見、欲望を排除したところで得た知見や、生まれた行いは、必ず人や社会に良い影響を与える。それを分け与えようする人は、良き‘先生’になる。
良き‘先生’であろうとすれば、同時に良き‘生徒’でなければならない。良き‘先生’こそが、学び、成長し続けなければならない。学び、成長するから、その人の話や行為には学ぶ価値が生まれる。
私が心から尊敬できるのは、どこまで登りつめても‘先生’であり‘生徒’でもあり続ける人だ。どんなに周囲から持ち上げられても、決して‘生徒’であることを卒業しようとしない。向き合った誰に対しても常に‘先生’であり、同時に気負うことなく‘生徒’であろうと努める。そういう人は眩しく、美しい。年齢や経歴などにまったく関係なく、何かを学び取り、自らの体内で昇華させ、言葉や行いに変えて、真摯に他者に伝える努力をする。そうした過程を、まるで上質な映画のように見せてくれる。私の理想の生き方だ。
でもそれは相当難しい。‘生徒’であり続けることが難しいからだ。このコラムは私自身への問いであり、戒めでもある。謙虚に振る舞いながらも、先生づらを隠しているだけの自分に気づくことがある。まだまだダメだなと打ちのめされる。
私はたまたま日本映像翻訳アカデミーの学校長という肩書を持ち、授業で講師を務めている。だから「先生」と呼んでくれる人が少なくない。でも、私が‘生徒’でありたいということをぜひ知ってほしい。皆さんが人生で学び取ってきた大切なことを、今もこれからも皆さんから学び続けたいのだ。
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Tipping Point~My Favorite Movies~ by 新楽直樹(JVTAグループ代表)
学校代表・新楽直樹のコラム。映像翻訳者はもちろん、自立したプロフェッショナルはどうあるべきかを自身の経験から綴ります。気になる映画やテレビ番組、お薦めの本などについてのコメントも。ふと出会う小さな発見や気づきが、何かにつながって…。
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