明けの明星が輝く空に 第124回:開米栄三とゴジラ
【最近の私】古い特撮映画には、廃線鉄道の味わいがある。そこに携わった人々の物語も含めて。最近、衛星放送の廃線特集番組を観て、そんなふうに感じた。
先月24日、映画美術造形師で、開米プロダクション会長の開米栄三さんがお亡くなりになった。開米さんは、『ゴジラ』(1954年)を始めとする数々の東宝特撮映画で怪獣造形に携わったのち、開米プロダクションを設立。『マグマ大使』(1966年)のほか、『帰ってきたウルトラマン』(1971年)や『人造人間キカイダー』(1972年)などの着ぐるみを生み出してきた。
25歳前後で『ゴジラ』に参加した開米さんは、造形スタッフの中では「いちばん下っ端」だったそうだ。そのためか、助手として参加した怪獣造形のほかに、着ぐるみに入る役者(スーツアクター)、中島春雄さん(第92回 特撮俳優列伝6 中島春雄 https://www.jvta.net/co/akenomyojo92/)のサポートも任された。例えば、ゴジラが海から現れるシーンでは、一緒に撮影用のプールに入ってキュー出しを担当している。それも夏にはボウフラが湧くような汚い水の中で、海パン1枚である。10月など肌寒い時期だったため、「寒いなんてもんじゃなかった」そうだ。海パン1枚だった理由は、自分の姿がフィルムに映り込まないように、素早く移動する必要があったからだ。釣り人が使うような胴長(胸まである長靴)では、そんなに早く動くことはできない。
背中を開けて出入りする着ぐるみは、人の助けがないと脱ぐことができないから、中に水が入ってくれば窒息してしまう。事実、スーツアクターのなかには、人工呼吸をしてもらい助かったという逸話もある。『ゴジラ』の撮影中、中島さんが水を飲んだりしていないか、開米さんは心配してくれたそうだ。スーツアクター以外の役者がいない現場で孤独を感じ、自分では外に出ることのできない着ぐるみの中で不安感を抱いていた中島さんにとって、そばでサポートしてくれる開米さんの存在は心強かったに違いない。同じ1929年生まれということもあり、中島さんにとって開米さんは「相棒みたい」な存在になっていった。シリーズ2作目の『ゴジラの逆襲』(1955年)の頃になると、造形スタッフの部屋での酒盛りに中島さんがよく参加していたというが、これも開米さんとの関係があったからだろう。ちなみに、当時は多摩川で投網を使えば、バケツ1杯分のヤマメが捕れたそうだ。僕は子どもの頃から多摩川の近くに住んでいるが、ヤマメが泳いでいたなんていう話は聞いたこともない。なんとも、うらやましい話である。
水に浸かった着ぐるみは、次の撮影のために乾かさなければならない。開米さんの仕事は、撮影が終了しても終わりではなかった。水で濡れただけならまだいいが、足の方に汗が2センチほどたまることもあったという。照明を当てられた着ぐるみの中は、想像以上に暑くなるのだ。ボロ布などで吸い取り、赤外線ランプで乾かしていると、当然のことながら、いい匂いはしなかったらしい。しかも、中島さんが前の晩にお酒を飲んだときは汗が酒臭く、アルコールで拭いても匂いは取れなかったそうだ。
水ではなく火を使った撮影でも、危険と苦労は絶えない。濡れたタオルを準備しておいて、カメラが止まったらそれを被せるのだ。中島さんが火傷しないようにするのはもちろん、着ぐるみが焦げると修理が大変だった。修理は造形の工房で行われたが、撮影所から少し離れた場所にあり、毎日重い着ぐるみをリヤカーに積んで運んだそうである。初代ゴジラの着ぐるみは、2作目以降のようなラテックスやウレタンではなく、ゴムと綿が使われていたから、相当な重量だったらしい。最初に作ったものは重すぎて撮影に向かず、半分にして上半身と下半身の撮影用に使われることになった。
そんなゴジラの着ぐるみに、開米さん自身も入ったことがある。宣伝用のスチール撮影のためで、俳優を使うと余計なギャラが発生してしまうからだった。開米さんは身長が180センチあり、中島さんより10センチ高かったから、ご本人曰く、その写真のゴジラは「首が伸びてピチっとしている」。さらに、開米さんがゴジラになったのはそのときだけでなく、映画にも登場しているようなのだ。ゴジラ登場場面の撮影には、ギニョールと呼ばれる手を入れて操る人形も使われており、開米さんも操作を担当したという。山の稜線からぬっと顔を出す初登場の場面、焼け野原となった東京でテレビ塔にかみつく場面。人形であるが故の異質感が奇妙な存在感を醸し出していたが、開米さんが演じていたかもしれないと思うと、なんだか感慨深いものがある。
口の開閉操作も担当するなど、現場でもっともゴジラに近い場所にいた開米さんは、それ故に危険な目に遭ったこともある。次作『ゴジラの逆襲』で、ゴジラが雪崩に巻き込まれる場面の撮影中のことだ。大量の氷を使ったセットが崩れ、その下にいた開米さんは下敷きになってしまった。周りで見ているスタッフにはそれが分からず、もう少しで死ぬところだったという。大事に至らず、本当に良かったと思う。
そんな開米さんは、あるインタビューの中で、着ぐるみの不備が原因でスーツアクターに怪我をさせたことは一度もないと胸を張る。「そんなみっともないことねえじゃない。プロとして」という言葉に、仕事師としての矜持が垣間見えた。紛れもなく、特撮文化隆盛の功労者であった開米さんは、享年90。ご冥福をお祈りします。
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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
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