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明けの明星が輝く空に 第159回:シン・仮面ライダー①:人はひとりでは生きられない

明けの明星が輝く空に 第159回:シン・仮面ライダー①:人はひとりでは生きられない

※今回の記事は、映画の設定に関するネタバレを含みます。ストーリーについては最小限に抑えてありますが、映画鑑賞を検討中の方はご注意ください。
 

この春に公開された映画、『シン・仮面ライダー』の3枚組ポスターには、それぞれ「孤高」、「信頼」、「継承」という物語の流れを示すキーワードが入っている。注目すべきは、「孤高」がひとりであることを意味しているのに対し、残りの2つは他者の存在が前提だということだ。(掲載されている写真も1枚目が出演者1人、他の2枚は2人である。)
 

本作において主人公との敵となるのは、SHOCKERと名乗る組織。テレビ版『仮面ライダー』(1971年~73年)における秘密結社「ショッカー」を踏襲したネーミングだが、単に英語表記に変えただけではない。SHOCKERとは“Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling”の頭文字を取ったもので、 “Happiness”とあるように、人々に幸福をもたらすことを理念としており、その本質は“悪の組織”ではない。
 

最後の“Remodeling”は、ライダーシリーズでおなじみの“改造”にあたり、いわゆる“怪人”たちのことを示している。本作で “オーグメント”と呼ばれる彼らは、幸福を実現するためコンピューター的知見を付与され、肉体を強化された者たちだ。ただし、与えられた力を自分勝手な目的のために使っていた。例えばコウモリオーグは、人口を減らすことが人類の幸福という信念のもと、特殊ウィルスを開発。ハチオーグは人々を支配することが自身の幸せ、支配されることが自分以外の人間にとっての幸せと考え、町の人々を働きバチのように従えている。
 

エゴに満ちた彼らを止めたいと考えたのが、SHOCKERの構成員だった緑川弘博士だ。彼は娘のルリ子を使い、バッタオーグとして自身が肉体をアップグレードした青年、本郷猛を組織から脱出させた。自由の身となった本郷は仮面ライダーを名乗り、オーグメントたちを倒していく。そんな中、ルリ子は兄であるイチロー(チョウオーグ)が羽化し、完全体になったことを知る。イチローは肉体の存在しない魂だけの世界、同時に本心だけの嘘のない世界=“ハビタット世界”へ全人類を送ることを目論んでいた。過去に母親を無差別殺人事件で失い、絶望にたたき落とされた彼は、ハビタット世界なら誰もが傷つくことはないと考えたのだ。
 

本作を撮った庵野監督の作品に詳しい人なら気がつくだろう。ハビタット世界は、エヴァンゲリオンシリーズの「人類補完計画」にそっくりだということに。その計画が完遂すれば、世界は個々の人間が肉体を失い、ひとつの魂として存在するものに作り変えられる。そこに他者は存在しない。だから、自分が傷つくことも、人を傷つけることもない。
 

どちらにも共通しているのは、悲しみと向き合うことを拒絶している点だ。それは、イチローが本郷猛を迎え撃つために用意したもうひとりのバッタオーグ、一文字隼人の洗脳方法にも表れていた。一文字は抱えていた悲しみを消され、「多幸感を上書き」されていたのだ。(一文字はこのあと洗脳を解かれ、ダブルライダーとして本郷と力を合わせて戦うことになる。)
 

悲しい記憶を消す。聞こえはいいが、それは「現実と向き合わない」=「逃げ」でもある。だからこそ、本郷猛は現実から目を逸らさない。彼もまた、警察官だった父親を目の前で殺され、絶望を経験していた。そんな彼が望んだのは、人を守るための強い力を持つこと。(その思いを知っていた大学の恩師、緑川博士が本人の承諾も得ず、彼をオーグメントにしてしまった。)洗脳されていない本郷は、何度も悲劇の場面を思い出す。彼はSHOCEKRだけでなく、悲しみとも戦い続ける男だった。
 

ところで、本郷のこういった設定を聞くと、熱い心と強い精神力を持ったヒーロー像を思い描くかもしれないが、彼はまるで正反対だ。ルリ子によれば“コミュ障”という、およそヒーローらしからぬ人物で、感情表現にも乏しい。そして興味深いことに、感情を見せないのはルリ子もイチローも同じだった。ルリ子は父がSHOCKERに殺されても悲しむ様子はなかったし、イチローも終始ロボットのように無表情で、感情が欠落した話し方をする。
 

庵野監督はエヴァンゲリオンシリーズでも、綾波レイという感情が欠けた人工生命体である少女を登場させている。しかし彼女は、主人公シンジとの交流を通して様々な感情を見せるようになる。同様にルリ子も、本郷と行動を共にするうちに表情が豊かになり、イチローもルリ子の思いに触れ、最後は人間らしい表情に変わった。
 

人は自分ひとりの世界に閉じこもれば、感情が乏しくなる。豊かな感情は、他者との関わり合いから生まれてくるからだ。また、ひとりで悲しみを乗り越えるのは辛い。寄り添ってくれる誰かが必要だ。「人はひとりでは生きられない」という言葉には、そんな意味もあるのだろう。他人を信じないと言っていたルリ子は、本郷との信頼関係を通し、「幸せ」が何であるか理解するようになった。そしてラストシーンでは、人とつるむのが嫌いだった一文字が、バイクを走らせながら本郷にこう語りかける。「オレたちはもうひとりじゃない。いつもふたりだ。」美しい景色の中、希望に向けて走り去っていくこのシーンに、庵野監督の思いが込められている。
 

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】先月、『帰ってきたウルトラマン』で主人公の郷秀樹を演じた団時朗(当時は次郎)さんが鬼籍に入られました。まだ70代。子ども時代の記憶と一番強く結びついたウルトラマンだけに、残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る 

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