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明けの明星が輝く空に 第177回 :英訳から見えるゴジラの立ち位置

明けの明星が輝く空に 第177回 :英訳から見えるゴジラの立ち位置

先日、Xのタイムラインに表示されたJVTAのポストを見て、自分が“トワイライトゾーン”にさまよい込んだかと思った。なぜなら、自分がまだ書いていないブログ記事が、すでに掲載された、という告知だったからだ。まさか未来に書いたものが、タイムスリップして…?

これ、種明かしをすれば、なんということはない。記事のテーマが、かぶってしまったのだ。そのテーマとは、「ゴジラはheとすべきか、itとすべきか」という翻訳の問題。8月に開かれた翻訳家トニー・キム氏によるJVTAオンラインセミナー(“『ゴジラ-1.0』英語字幕に見る 日米における「ゴジラ観」”)を拝聴し、イチバン興味を引かれたのが、ゴジラの代名詞をheからitへ変更するよう、制作サイドからリクエストされたというエピソードだった。

その理由について、僕をトワイライトゾーンに引き込んだJVTAの記事“『ゴジラ‐1.0』 英語字幕に見る日米における「ゴジラ観」” では、ゴジラは生物としての意識を持たない自然災害などの災厄のようなものだから、という解釈が示されていた。結論から言うと、僕の見解はそれとは視点が異なる。(でなければ、同じテーマの記事を書く意味がない。)むろん、災厄という点について異論はない。ゴジラに限ったことではないが、日本の怪獣の多くは、自然災害のメタファーだ。わかりやすい例では、『帰ってきたウルトラマン』(1971~72年)に登場したシーモンスとシーゴラスという、竜巻や津波を引き起こす怪獣がいる。

ゴジラがitでなければならなかった理由。それは、人間から見た心理的な距離と関係があるのではないかと思う。『ゴジラ‐1.0』のゴジラは未知の生物であり、情け容赦なく多くの人命を奪う冷酷な怪物だった。そんなものに対し、heはどうだろうか。たとえば、『Alien』(1979年)に登場するエイリアンの場合、ざっと確認してみたところ、一貫してitが使われているようだ。

自説をさらに検証するため、『GODZILLA ゴジラ』(2014年)における英語のセリフと日本語訳も調べてみた。この作品には、ゴジラ以外にムートーという人類の敵となる怪獣が登場する。ゴジラはムートーの天敵だから、「敵の敵=味方」という構図で、相対的に人類側に近くなる。

物語前半で渡辺謙演ずる芹沢博士たちが、両怪獣について説明する場面は、格好の検証材料を提供してくれている。これも結論から先に言えば、ゴジラの場合はhe(あるいはhim)だったのに対し、ムートーはitだった。ゴジラにitが使われているセリフもあるが、やはり心理的距離で説明できるだろう。そのセリフは、ゴジラが未知の生物だったころを振り返った際のものだからだ。当時、ゴジラは芹沢博士たちにとっても、得体が知れない危険な存在だった。

翻訳の観点から特筆すべきは、ムートーを指し示すitに対応する訳語がほぼ省略されていることだ。たとえば、“This parasite. It’s still out there. Where’s it headed?”というセリフは2回もitが使われているのに、「その生物はまだ生きてるんだろう?どこ行った?」(吹き替え版)というように、巧妙に「それ」を回避している。これはJVTAの記事でも指摘されていたことだが、日本語の代名詞は省略されることが多い。逆に言えば、言わなくても何について話しているかわかるのが日本語なのだ。実際、上記のセリフの直前、ほぼ連続して出てくる7つのitは、字幕版も吹き替え版もすべて無視されているのだが、すべてムートーのことだと無理なく理解できる。特に、字数制限と闘う映像翻訳者にとっては、便利な言葉だ。

省略は、ゴジラを指すhe/himの場合も同様だ。ただ、その一方で、英語のセリフにheがないにも関わらず、日本語訳に「彼」が使われているケースもあった。芹沢博士の助手、グレアム博士が、“The top of a primordial ecosystem”と言った場面だ。吹き替え版では、「は生態系の頂点よ」と、「彼」が付け加えられている。この場合の「彼」には、敬意のニュアンスが読み取れる。この敬意というものも、心理的距離に影響するだろう。英語であれば、itよりheの方がふさわしい。(実を言えば、上記のエイリアンもheと呼ばれるケースがあったが、その生命体としての完璧さを評価する者のセリフであり、そこにある種の敬意が含まれていたと言える。)

ゴジラに対する敬意といえば、芹沢博士の使った言葉が興味深い。「生態系の頂点」と同じような意味合いで、ゴジラのことをalpha predatorと評しているのだ。通常使われる表現はapex predatorなのだが、それではライオンなど現実に存在する大型肉食獣と、(少なくとも言葉の上では)同類になってしまう。別格だという思いが、博士にそういった表現をさせたのだろう。またメタのレベルで言えば、ゴジラは怪獣映画という、特殊な世界観に支配された空間にしか存在しない生き物だ。動物園に行けば見られるような動物のイメージは、できるだけ排除しよう。そんな思いが、脚本家にあったのかもしれない。ちなみに、alpha predatorの訳語は「破壊神」(字幕)/「怪獣の王」(吹き替え版)となっており、博士の抱く敬意がしっかり反映されている。

最後に、『ゴジラ‐1.0』のゴジラは、日本語のセリフの中ではなんと呼ばれているのか。これが面白いことに、「やつ」や「あいつ」といった、通常は人を指して使う言葉なのだ。それなのに英訳ではheをitに変えるよう要求があったというのだから、翻訳というものは面白い。

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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。

【最近の私】『エイリアン:ロムルス』を観ました。いやあ、怖かった。音響もスゴイ。耳より肺で感じるBGMって初めて。でもちょっと、内容・演出的に盛り込み過ぎかな。特にあのエレベーターシャフトでのシーンは…。

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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る 

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