明けの明星が輝く空に 第178回:怪獣たちの性、そしてジェンダー
前回の記事、「英訳から見えるゴジラの立ち位置」(https://www.jvta.net/co/akenomyojo177/)では、ゴジラはheとすべきか、itとすべきか、という問題について論じた。その記事を読んで、次のように疑問に思った人はいるだろうか。なぜその議論に、sheという選択肢が含まれないのか、と。
ゴジラの性別。それを意識したことがある人は、どれぐらいいるだろう。『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)内で「教育パパ」というセリフがあるため、オスということになっているが、それを知らなくても、ゴジラの性別を尋ねられれば、10人中10人がオスと答えるに違いない。
なぜ、ゴジラ=オスだと思うのか。これは怪獣全般に当てはまる問題だ。僕たちは怪獣を見れば、無意識のうちにオスだと思うところがある。考えてみれば不思議な話で、危険な猛獣はオスとは限らない。子連れの母熊に襲われた、というニュースも珍しくはないではないか。
理由としてまず考えられるのは、人間のオス、つまり男のイメージからの類推だ。たとえば、「乱暴者」という言葉を聞いて、頭に浮かぶのは女だろうか。悲しいかな、「暴力」や「破壊」といった行為は、容易に男と結びつく。刑事ドラマには女性の殺人犯が登場することもあるが、たいていは暴力に訴えるというより、言葉巧みに薬物を飲ませるなど、知能犯的なイメージだ。
もう一つ、僕らが使う言葉の影響はないだろうか。これは日本語に限った話ではないが、性別に関してバランスを欠いた表現が、社会には定着している。職業を表す言葉が典型的で、たとえば「女性教師」や「女社長」など、女性の場合だけ性別を明示する。男性の場合、わざわざ「男性」や「男」を頭につける必要がない。スポーツの競技名も、その点では同じだ。男性が競技者なら「サッカー」や「野球」で済むのだが、女性の場合は「女子サッカー」や「女子野球」となる。(マラソンやテニスなど、「男子」が頭に付く例もあるが、それらは野球などと違い、比較的女性競技者の数が多く、比較的に男女のバランスが取れているからだろうか。)
職業や競技の例はいずれも、男がスタンダード、あるいはデフォルトで、女は例外として認識されていることを示している。飛躍しすぎとの批判を恐れずに仮説を立てるとすれば、「怪獣」という言葉に、メスであることを示す“性差マーカー”がなければ、僕らはオスであると自動的に思い込むよう刷り込まれているのではあるまいか。
そもそも、メスの怪獣は存在するのか。いないことはないが、少ない。そして、オスや子供とのセット、つまり妻や母として描かれていることが多い。たとえば、1956年に公開された東宝映画『空の大怪獣ラドン』は、ラストシーンに2頭のラドンが揃って登場するのだが、脚本を担当した村田武雄氏によると、2頭をつがいとして書いたという。また、珍しく日活が制作した怪獣映画『大巨獣ガッパ』(1967年)のガッパには、つがいと子ども、3頭の親子が登場する。映画だけではない。『帰ってきたウルトラマン』(1971年~1972年)には、産卵のため日本に上陸したシーモンスが登場。攻撃を受けると助けに来るシーゴラスとは、つがいである。さらに、『ウルトラマンタロウ』(1973年~1974年)のクイントータスは、キングトータスとのつがいで、ミニトータスの母親でもあった。
以上の例は、いずれもメス単体では役不足とでもいわんばかりの扱いだ。ご存じのように、人間界においても同様の指摘はよくなされる。女性が「~さんの奥さん」や「~ちゃんのお母さん」としか呼ばれないケースがそれだ。常に誰かとのセットで語られる。しかも、表現形式上において、その立場は「従」であって「主」ではない。メス怪獣たちの設定には、作り手たちの考えが(無意識のうちに)反映されているだろう。彼女たちは、人間社会を映す鏡なのだ。
面白いことに、性別がはっきりしていないにも関らず、メスのイメージを持たれている怪獣もいる。代表的なのが『モスラ対ゴジラ』(1964年)のモスラだ。自己犠牲の精神で卵をゴジラから守る姿が、観る者に母性を感じさせるからだろう。(英語表記のmothraは、蛾のmothと母のmotherを合わせたものというが、モスとマザーでモスラというのは少々無理がある。おそらく、後付けの設定ではないだろうか。)母性を感じさせるのは、『ウルトラマン』(1966年~1967年)のウーも同様だ。雪女の娘と噂される少女がいじめられると、ウーは彼女を守るために出現する。これらの例は、僕ら作品を観る側にも、卵/子どもを守る=母という刷り込みがあることを、浮き彫りにしている。
怪獣たちの性とジェンダー。今回の記事のタイトルを見て、怪獣に性別はあっても、社会的・文化的性差であるジェンダーなどあるわけがない、と思われた方もいるだろう。しかし、怪獣のメスが常に母、あるいは妻という役割を与えられるとしたら、もはや立派にジェンダー論の範疇だ。そしてそれはとりもなおさず、作り手や視聴者の思考を問う議論でもある。たかが怪獣、されど怪獣。怪獣を通して、人間社会が透けて見える。
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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
JVTA修了生。子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】ハードオフで、ジャンク品(壊れたカメラなど)を買い取ってもらいました。値段は二の次。壊れていても捨てるのは忍びないと思う人間にとっては、心が痛まないだけでもありがたいです。
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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る
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