明けの明星が輝く空に 第88回 ヒーローになったキングコング
【最近の私】ある仕事の現場で、「勝利しました」は使わないことになった。気がつけば、スポーツニュースから「勝ちました」が消えていたのを疑問に思っていた僕としては、「やっと」という思いがする。
この春に公開された映画『キングコング 髑髏島の巨神』(以下『髑髏島』)の日本語版公式サイトを覗くと、レビューの中に「21世紀最高の怪獣プロレス」とか「中学生マインド全開」、「怪獣わんこそば映画」、「無敵の怪獣番長」といった言葉が並んでいる。はっきり言って、それ以上のものはこの映画にはない。だから、上記のような文言に惹かれない人には、全く楽しめない映画である。ただ僕自身は、『髑髏島』を観て、日米の「神」の概念の違いに思いを巡らせることになり、その点が興味深いと感じた。
それを説明する前にまず、ある雑誌のレビュー記事にあった意見を紹介しよう。それは、「髑髏島の巨神」ではなく「南海の魔神」という邦題にしてほしかった、というものだ。僕は「魔神」という部分にある種の共感を覚えたのだが、それは昭和の東宝特撮に対するノスタルジーが感じられるからではなく、魔神としてのコングの方がより魅力的に感じられるからだ。魔神は災いをもたらす危険な存在である分、それに対する畏怖の念が強くなる。だけど『髑髏島』のコングはただのヒーローにしか見えず、魔神からは程遠かった。
主演トム・ヒドルストンは、ある雑誌のインタビューで「キングコングは大自然の象徴」と答えているが、これを映画ポスターのキャッチコピー、「人類よ、立ち向かうな」と合わせて考えると、『髑髏島』のテーマは「地球の大自然の前に人間は非力だ」ということだろう。そこから(日本人として)イメージするのは、雷や台風、火山の噴火などという災い、いわゆる荒ぶる神である。
『髑髏島』のコングは、物語冒頭で米軍のヘリを次々に撃墜したが、それは島に爆弾を落とされた怒りからであり、もともと彼は島民たちの守り神的存在だった。また、窮地に陥ったヒロインを救った場面もある。この場面など、魔神や荒ぶる神というより、むしろ西洋的な救済の神を想起させないだろうか。
西洋的な神と考えると、コングが随所に人間的な特徴を見せたことの理由も分かる気がする。彼は常に背筋を伸ばして二足歩行し、その立ち姿はまるで人間だ。ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督は、1933年の『キング・コング』への原点回帰としての二足歩行だとしているが、それにしても人間っぽい。また、コングは立木を引き抜いて武器にする際、わざわざ枝葉を払い落としていたし、難破船のスクリューを刃物のように使い、敵モンスターの喉を切り裂いた。また(記憶があいまいで申し訳ないが)、夜空に浮かぶ虹か何かを見上げていたシーンでは、まるで物思いにふけっているかのような目をしていた。
西洋社会では、神は自分に似せて人間を作ったという考え方もあるようだが、これはあらゆる生物の中で、人間の姿こそ至高のものという考えにつながるらしい。だからこそ、アメリカのスーパーヒーローは生身の人間や人間にそっくりな姿だという話をどこかで聞いたことがある。コングがいかにもゴリラっぽかったら、アメリカの観客は感情移入できないのかもしれない。
感情移入が必要なのは、今後に控える新作映画のためだ。『髑髏島』を制作したレジェンダリー・ピクチャーズは2018年の新作ゴジラ映画を経て、2020年には『Godzilla vs. Kong』(原題)の公開を予定している。僕はその映画の中で、(非常に大雑把に言って)コングが善玉、ゴジラが悪玉として描かれると予想している。それは、今回のコングとは対照的に、『GODZILLA ゴジラ』(2014年)のゴジラは人類を助ける意思など見せなかったからだ。もちろん、単純な「善vs.悪」という図式はもはや時代遅れなので、両者の境界線はあいまいになると思うが、コングは基本的に人間側に立って戦うだろう。
僕は『シン・ゴジラ』によって、ある種のカタルシスを味わったようなところがあるので、いまさらハリウッドのゴジラ映画・モンスター映画に何を期待していいのか分からない。やはり「中学生マインド全開の怪獣プロレス」になるのだろうか。せめて、このブログで取り上げる材料を何か提供してもらえたら、と願っている(もちろん、それまでブログを続けていたら、ですけどね)。
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Written by 田近裕志(たぢか・ひろし)
子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
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明けの明星が輝く空に
改めて知る特撮もの・ヒーローものの奥深さ。子供番組に隠された、作り手の思いを探る