やさしいHawai‘i 第61回 『幻となったハワイのカジノ』
【最近の私】いよいよアメリカはトランプ政権の開始を迎えた。昨年ハワイでのアメリカ大統領選挙について書いた時には、こういう結果が出ようとは誰も予測していなかっただろう。就任演説を聞いて、不安を覚えたのは私だけではないと思う。
2016年12月15日未明、臨時国会で日本における「カジノ法案」が成立した。実際のカジノ実施には、さらに「IR実施法案」の可決が必要となるが、日本が長く躊躇していたカジノ解禁を具体的に目の前に突き付けられた感がある。昨年暮れにJVTAを訪れた際、このカジノ解禁の話題で盛り上がった。「そういえばアメリカ本土の先住民はカジノ経営をしているのに、ハワイではカジノは行われていませんよね」という代表からの一言で、私の好奇心にアドレナリンが注入された。
歳入財源の確保、外貨獲得、観光客の促進、雇用の創出などを理由に、現在カジノは世界の多くの国々で実施されている。イギリス、オランダをはじめとするヨーロッパの大半の国々、アメリカ、カナダ、韓国、フィリピン、オーストラリアなど、約130カ国でカジノが合法化されている。
アメリカで最も有名なカジノの現場といえば、もちろんラスベガスだが、連邦政府は貧困に苦しむ先住民に雇用の機会を与えるという目的で、先住民の居留地においてカジノ実施を推し進めてきた。その結果、居留地で生活する224もの先住民部族がカジノ経営に乗り出し、インディアン・カジノと称されるものが全米に387もできた(2006年の統計)※。今ではこのインディアン・カジノによる総収入はラスベガスのそれを凌駕するほどになった。先住民部族間では格差が拡大し、ハード・ロック・カフェを買収するほど大成功を収めたフロリダ州のセミノール族などがいる一方で、中にはアルコールやギャンブル依存者が増加し、社会問題となってきている先住民部族もいる。
※参考「ネイティブ・アメリカン」(鎌田遵著)岩波新書より
基本的にはカジノを合法としているアメリカだが、モルモン教の本拠地ソルトレイクシティがあるユタ州とハワイ州、この2州ではカジノは許されていない。
ハワイでの生活を通して、確かにハワイにカジノがないことは知っていた。だがなぜないのか、その理由は分からなかった。帰宅して何気なくその話をすると、かつてハワイで土地開発にたずさわっていた夫が、「いや、たしか昔ハワイでカジノを造ろうという話はあったように思うよ。ノースショアにあるタートルベイ・リゾートは、以前クイリマ・ホテルと呼ばれていて、そこにカジノを、という話を聞いたことがある。でも、その後カジノ法案は通らなくて、結局やめになったはずだ。僕たちがハワイにいた頃のことだから、1975年前後のことだと思う」という。
これは面白くなってきた。
ハワイのカジノ情報を調べても、もちろん「ハワイにカジノは存在しない」というものばかりだ。だが今度はクイリマ・ホテルを調べて行った時、ノースショアでうっそうと茂った草木の中にコンクリートの柱が立っている、不思議な写真を見つけた。Dun Russellという人類学者のSearchReSearchというブログに載っていたもので、タイトルは“The Mystery of the Hawaiian posts on the North Shore”(ノースショアに立つハワイの柱の謎)。いかにもミステリーを感じさせる景色だ。他にもこのような柱があちこちに立っているらしい。これは何を意味するのか。ラッセルさんのブログを読み進めていくと、おもしろい結論が待っていた。
ノースショアの近辺に散在する不思議な柱(出典:Russellさんの“The Mystery of the Hawaiian posts on the North Shore”のブログより
これはノースショアにあるクイリマ・ホテル(現在のタートルベイ・リゾート)で計画されていた、増築部分の基礎工事の名残だと言う。創設は1972年で、もともとデル・ウェブというカジノ開発も行っている不動産開発業者が、オアフ島で最初のカジノを造ろうという目的で建てたのが、このクイリマ・ホテルだった。一説には、フランク・シナトラも一枚かんでいたとかいなかったとか。
そう、やはりハワイでカジノを造るという話は実際にあったのだ。
ところがこのノースショア一帯は、かつてハワイ先住民の埋葬地であった場所で、ここにカジノを建設することに対し、住民の強い反対運動が起こった。その結果ハワイにおけるカジノ法案は否決され、カジノ建設は実現しなかった。だが、増築しようとしていた基礎の一部が、こうしてあちこちに点在しているということなのだ。
カジノ法案が否決された理由はこの他にも、カジノ経営が始まると、これまでのようなハワイの健全なイメージが変わり客層も変わり、一般観光客の数が減少するのではという危惧もあったという。
参考サイト
http://fia.umd.edu/answer-the-mystery-of-the-hawaiian-posts-on-the-north-shore/
オリジナルのクイリマ・ホテルはその後ハイアット、ヒルトンと経営母体が変わり、現在はタートルベイ・リゾートと名を変え、ビーチコテージなどを含む452の宿泊施設がある。そのほかに、新しくスパ、プール、サーフィンスクール、そしてアーノルド・パーマーがデザインしたというゴルフコースなど、ノースショアで唯一の総合レジャーホテルとなった。
※写真は同ホテルの公式サイトより
またノースショアはサーフィンのメッカ。山下達郎さんがテーマ音楽を歌った、映画『Big Wave』のロケーション地にもなった、サーファー憧れの海、そしてウミガメが近くの海岸に産卵にやってくる、自然豊かな地でもある。私が訪れた時も、砂浜やすぐ近くの沖にウミガメののんびりとした姿を見た。
かつては先住民の埋葬地として特別な意味を持っていたノースショアだが、今ではワイキキに飽き足らない観光客が、違うハワイを味わおうとこの地にやってくる。観光立国としてのハワイの中で、確かに人々は開発と自然保護とのはざまにいる。しかしカジノの実施を阻止した人々を始め、ノースショアの自然を守り、ハワイの美しさを尊重しようと運動している人々は、着実に効果を上げてきている。私の大好きな“やさしいHawai’i”は、そんな人々によって守られているのだ。
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。