やさしいHawai‘i 第62回 アルコールとハワイの人々
【最近の私】先日、初めてインフルエンザに罹った。ちょっとシンドさが普通ではないと翌日病院に行き、検査の結果、当たり~。特効薬イナビルを一度だけ吸入。8度5分の熱はたちまち下がったが、やはり回復には10日ほどかかった。
前回(第61回「幻となったハワイのカジノ」https://www.jvta.net/co/yasasiihawaii-61/)は、ハワイにはカジノが存在しないことについて述べた。その理由はさまざまあろうが、中でも最大のものは、カジノに対するハワイの人々の拒否反応だ。彼らには「太平洋の真っ只中にあり、世界中のどの大陸からも最も隔離された安全で健全に憩える場所としてのハワイの存在を守っていきたい」という思いがある。しかし私はもう一つ陰の理由があるように思う。それはカジノに付き物の酒の存在だ。
ハワイでは、どれほどアルコールに対して規制が厳しいかご存じだろうか。
私たちが最初にハワイで生活を始めた同じ時期、夫の高校時代の親友がホノルルにあるハワイ大学マノア校で言語学を教えていた。彼らには我が家の長男とほぼ同じ年のお嬢さんがいたこともあり、私たちがオアフ島のハワイカイに移ってからは、結構頻繁に交流があった。一番記憶に残るのは、カピオラニパークでのバーベキューだ。その時初めて知ったのが、「ハワイのビーチではビールを飲んではいけない」ということ。夫の友人から聞き、思わず「え~、ビール無しでバーベキュー?!」と、つい二度聞きしてしまった。ビーチのみならず、公の場所(バスの車中、公園、公道など)での飲酒は絶対に禁止だ。もちろん飲酒運転は厳重な処罰を受ける。またアルコール類を店で買えるのは、朝の6時から夜中の12時までで、それ以降は酒の販売は禁止。飲酒できるのは21歳以上。時には身分証明書の提示を求められることもある。このようにハワイではアルコールに関して大変厳しいルールがある。
日本では(特に年末年始)、夜の電車の中で酔っ払いをよく見かける。お付き合いとはいえ、あそこまで飲まなくても・・・とつい思う。ところがハワイで3年間生活をしている間に、路上で酔っ払いを一度も見かけたことがなかった。そこで思い出したのが、ハワイ王朝の歴代の王たちの姿だ。これ以降は全く私の個人的主観だと前置きをしておく。
ご存知のように、1778年、キャプテン・クックがハワイを発見したことにより、ハワイはキリスト教を始めとする西欧の文明がどっと押し寄せることになる。その中に、捕鯨船の船員達が持ち込んだアルコールがあった。
それまでハワイには“Awa またはKava(アヴァまたはカヴァ) ”と呼ばれるものが存在した。これはショウガ科の植物の根を水で揉み出し、泥のように濁った水溶液を濾したものだ。アルコールではないが向精神性薬物で、酩酊状態を引き起こし、口の中がしびれるという。
この飲み物は『ペレとヒイアカ』の神話の中にも登場する。(関連記事 https://www.jvta.net/co/yasasiihawaii-59/)以前ハワイ島のコナに行ったとき、ビーチの前の小さな店で売っていた。それを見て、ヒロで滞在したアパートのオーナーから聞いた「アヴァは飲んではダメよ」という言葉を思い出した。古代ハワイでは儀式などによく使われる飲み物であったが、現代科学によって分析してみたところ、飲みすぎると肝機能障害などを起こす危険性があるということが明らかになってきたのだ。
アヴァはあったが、アルコールは存在しなかったハワイに、ある時西洋人がアルコールを持ち込んだ。怒涛のように押し寄せてきた西欧文明に対するプレッシャーから逃れようと、王たちの中にはアルコールに依存し始める者が出てきた。カメハメハ2世、ルナリロ王、そしてあのカラカウア王もアルコールにのめり込んだ。確かに西欧文明はハワイ王朝にとって巨大な脅威だったが、ハワイの王政が継続できなかった陰の理由の一つに、私はアルコールがあるように思うのだ。
そんな歴史を考えると、特にハワイのローカルの人々はアルコールに対して、強い警戒心を持っているのではないだろうか。彼らが実際、歴史を紐解いているわけではないだろうが、アルコールには警戒しなさいよ、という親の教え、先祖の教えが、生活の中で代々伝えられているように、私は感じる。アルコールは適度ならいい。リラックスできて楽しいくらいならいい。でも度を超すと、それは“こわいこわい存在”となることを、歴史は教えている。
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。