やさしいHawai‘i 第63回 『リンドバーグが最後の時を過ごしたハナ』
【最近の私】神田川へ桜を見に出かけた。川を覆うような見事な桜に、つくづく日本人として生まれてきたことの幸せを感じた。パッと咲いてパッと散る。潔いですね、桜は。
マウイ島ハナは、カフルイ空港から83キロのところにある小さな村だ。そのハナへ導いてくれる“ハナ・ハイウェイ”とは名ばかりで、途中約600のカーブと54ヵ所ある橋を通る道で、ほとんどが1車線。カーブを曲がった途端、向こうからやって来る車が突然目の前に現れる、そんな“ハイウェイ”なのだ。
あえて危険なドライブをしてまで、ハナへ行ってみようという個人の観光客はあまり多くない。それだけにハワイに未だ残る手付かずの自然に囲まれたハナは、他の場所とは比較できない静けさと美しさを保っている。
そんなハナに憧れ、こんなに大変な“ハイウェイ”だとは予測もせず、当時ハワイ島に住んでいた私たちはある日、ハナへ行こう!と決意した。運転手は夫。長男は1歳半ぐらいだっただろうか、まだ大切なオレンジ色のセキュリティーブランケットを離せずにいた頃だ。600ものカーブのおかげで、長男も私もひどい車酔い。ついに長男はもどしてしまい、途中の公園で汚れたブランケットを洗い、一休みをしたのがいい思い出になっている。
マウイ島ハナ。人口1235人(2010年調べ)。「天国のような」「天国に近い」という表現をされるハナは、美しい自然、滝、花々、そして優しい人々に囲まれ、ハワイの最も大切なものを守り続けている場所だ。
話は変わるが、大西洋を単独無着陸飛行し、著書『翼よ、あれがパリの灯だ』でピューリッツァー賞を受賞した、飛行士チャールズ・リンドバーグのことは多くの人が知っていると思う。ちなみに、単独飛行に成功し、パリに到着したときに最初に言った言葉は、本のタイトルではなく「誰か英語を話せる人はいませんか?」だったそうだが。
その彼が、悪性リンパ腫のためマウイ島ハナで亡くなったのが、1974年8月26日。長男がハワイ島ヒロホスピタルで生まれたおよそ9カ月後のことだ。私は息子の世話で必死になっていて、リンドバーグ死亡の件は記憶にないのだが、夫は当時、実際にローカルニュースで聞いたのを覚えているという。ハワイ島にある夫の事務所でも話題になったそうだ。
『最後の夏、様態の悪い状態が何ヶ月もつづき、とうとう医者に手はつくすだけつくしたと宣言されると、父はニューヨークの病院を出て、マウイへ行く手配をした…マウイでの最後の十日間、父は墓屋と相談し、葬儀で短い賛美歌を歌うようにたのみ、棺おけに入れる品をたくした。それはハワイのタパ布とハドソンズベイの毛布だった・・・』(リーヴ・リンドバーグ(リンドバーグの末娘)著『母の贈り物 アン・モロー・リンドバーグ 最期の日々』P62 桃井緑美子訳 青士社より)
リンドバーグ氏の訃報 (朝日新聞1974年8月27日夕刊)より
リンドバーグは妻のアンとともに最後の日を、マスコミに追われることなくマウイ島ハナで静かに迎えた。さぞかし仲睦ましい夫婦だったのだろうと想像した。
ところが、もう少し二人のことを詳しく知りたいと思いいろいろと調べていくうちに、実にさまざまなことが明らかになってきた。
リンドバーグに関して最もよく知られているのは、もちろん前出のパリへの単独無着陸飛行だが、夫妻がマスコミに大きく取り上げられたのは、長男チャールズ・ジュニアが1歳8カ月の時の誘拐事件だろう。結局ジュニアは生きては戻らず、ドイツ系ユダヤ人移民のハウプトマンという人物が犯人として、1936年に処刑された。この事件に関しては諸説あり、ハウプトマンの免罪説、はたまたリンドバーグ自身が関与していたという説もあるという。
夫妻は、ジュニアの後にさらに5人の子供をもうけた。ところが2003年、リンドバーグとミュンヘンの帽子店の女性との間の非摘出子であるという人物が3人現われ、DNAテストで実子であることが証明された。その帽子店の女性との関係は1957年に始まり、リンドバーグが死ぬまで継続したという。(2003年8月4日中央日報が報じた、ドイツ・ミュンヘンのシュート・ドイチェ・ツァイトン週末版)
リンドバーグ夫妻の写真
(筑摩書房『リンドバーグ チャールズとアンの物語』より)
私が頭の中で想像していた、リンドバーグ夫妻のマウイ島ハナでの仲睦ましい静かな最後の日々は、この情報で全く混乱してしまった。
さらに本を読み進めた。以下は、『リンドバーグ チャールズとアンの物語』下 ジョイス・ミルトン著 中村妙子訳 筑摩書房 からの抜粋だ。
○もともとマウイ島の生活はチャールズには楽園のようだったかもしれないが、アンの好むたぐいのものではなかった(P309)
○「チャールズが亡くなった時、わたしはほっとした」とアン・リンドバーグの友だちの一人は言った。「ああ、少なくともこれからの数年は、アンは充実した生活が送られるだろう、彼女自身として生きられるだろうと思ったからだった」(P331)
○リンドバーグの自伝には、・・・四十五年にわたる結婚生活の伴侶であるアンへの一言半句のやさしい言葉も見出されないのは不思議である。(P333)
○アンのかつての雇い人のうちの二人が口をそろえて彼女について、「あんなに孤独な女性はみたことがありません」と言っていた(P335)
また、アンの著作『海からの贈りもの』(落合恵子訳 立風書房)の中には、アンがいかに寂しい人であったかが、全文の行間に染み出ている。華やかな飛行士であった夫に勧められ、アン自身も飛行技術を学び、夫と共に世界中を飛び回るような女性の実際の姿は、一体どんなものだったのだろう。
晩年は自然保護に力を入れていたリンドバーグ夫妻。だから人生終焉の地としてあの美しいハナを選んだのだと私は思っていた。しかし、こんなに心が離れていた夫婦が、あの静かなハナでどんな最後の時間を過ごしたのか。リンドバーグの心が自分に向いていないと知りながら、アンはひたすら彼を愛し続けたのだ。ハナがあまりに美しい場所であるだけに、何だかとても心が痛む。と同時に人生の中に潜む真実を垣間見た思いがした。
参考資料:
リンドバーグ チャールズとアンの物語 上下 ジョイス・ミルトン著 中村妙子訳(筑摩書房)
海からの贈り物 アン・モロー・リンドバーグ著 落合恵子訳(立風書房)
母の贈り物 アン・モロー・リンドバーグ 最後の日々 リーヴ・リンドバーグ著 桃井緑美子訳(青土社)
誘拐 リンドバーグ事件の真相 G/ウォラー著 井上勇訳(文芸春秋)
リンドバーグの世紀の犯罪 グレゴリー・アールグレン スティーブン・モニアー著 井上健訳(朝日新聞社)
誰がリンドバーグの息子を殺したか ルドヴィック・ケネディ著 野中邦子訳(文芸春秋)
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。