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やさしいHawai’I 第65回 「歴史を紡ぐ縦の糸と横の糸」

やさしいHawai’I    第65回  「歴史を紡ぐ縦の糸と横の糸」

【最近の私】今年はいろいろとあったが何とか乗り越えてきた自分に、ご褒美のつもりで、ついに買ったRolandの電子ピアノ。限りなく楽しい。ピアノをやめてもうずいぶんになる。最初からやり直しの感があるが、ヘッドフォンを使えば外に音が漏れないから、どんなに下手くそでも全然平気!! リズムを付けたり、ピアノ以外の音源で楽しんだり。一生の友達になりそう。

 
「長崎くんち」は、毎年10月に開催される。今年、最終日の9日に諏訪神社での奉納踊りを観るという、貴重な機会を得た。学生時代、同じクラブで活動した長崎出身の友人が、桟敷席を手配してくれたのだ。その迫力に私は圧倒された。江戸時代の南蛮文化を色濃く残した、異国情緒あふれる踊りと衣装の数々。上も下も急な石段に挟まれた狭い踊り場で、縦横無尽に引き回される何トンもあるという大きな南蛮船。雲一つない青空の下「ヨイヤー」「モッテコーイ」の掛け声で、場は最高潮に盛り上がる。私はこの時、長崎の人々の、神への純粋な信仰心、互いを思いやる感謝の心、おくんちという伝統を守るという長崎人の心意気に強く心を打たれ、思わず涙が出た。
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このおくんちの前日、私は佐賀県の有田にいた。焼き物が好きな私と、ろくろを回している友人との気ままな二人旅。時間をかけてゆっくりと有田の町を満喫した。私にとっては2度目の有田だったが、今回はちょっと心に思うところがあった。

 
もう15年以上前のことになる。ハワイ大学の夏期講習に参加するために、私はハワイ島ヒロの町で2カ月間一人暮らしをした。授業がない日はナップサックを背に、一人でヒロのダウンタウンを散策するのが何よりの楽しみだった。もともと骨董品が好きな私は、町で一番大きなアンティークショップに何度か立ち寄ったが、あるとき、そこで思いがけない物を見つけた。裏に深川製磁の富士山の印があり、「made in occupied Japan」(占領下の日本で作られたもの)と刻された茶碗、蓋付きの向付、刺身皿のセットが、全く無傷で店の奥に並んでいた。全部でいくらだったか、価格は覚えていない。だが、その場ですぐに買うことを決めたのだから、さほど高額ではなかったと思う。

 
私は自宅に深川製磁の品を何点か持っている。どれも真っ白できめ細かな肌をしており、繊細な絵付けだ。ところが、この「made in occupied Japan」の深川製磁には、少し手荒く扱ってもびくともしないような、素朴な頑丈さがあった。藍の色の枝葉に、赤の柿。この食器の由来を、どうしても深川製磁本社で尋ねてみたかった。

 
私は有田で店員の女性に、この食器に関して細かく説明をしたが、なにぶんにも写真を撮ってこなかった。そこで後日写真を送ることを約束し、有田を離れた。

 
東京に戻るとすぐに、碗の裏に深川の印、そして made in occupied Japan の文字がはっきりと写っている写真と共に、この食器を手に入れた経緯を書き、メールを送った。それから数日後、大変丁寧なお返事をいただいた。下記に記したのは、その一部だ。
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『戦時中は、ロクロや粘土精製、釉薬掛け、染付の線描きを担当する男性の職人さんが軍に召集され、その部分の品質が少々落ちたものが出来上がっております。当然、時代的に、豪華で華美なものは制作されませんでしたが、「マル技」と呼ばれる国の保護政策により伝統手法が途絶えないように努力されています。戦後も、すぐには国内市場が復活せず、代わりに弊社は進駐軍向けの洋食器を制作して佐世保、横須賀などで北米輸出をはじめ、朝鮮動乱、ベトナム戦争までは拡大し、会社を復興していきます。
本品も、1947年~52年の時期に、ハワイに輸出されたもの、もしくは米軍の方が日本で購入し持ち帰られたものと思われます。陶磁器は、その時代の背景、生活、制作した職人の息吹が垣間見られるもので、同じものは作ることができません。大事になさってください』

 
日本は第二次世界大戦で敗戦し、それまでの素晴らしい陶磁器の技術を維持できない環境下に置かれた。だが、なおこうして必死の努力を重ねたことによって、再び日本が世界に誇る技術を復興させることができたという事実を、この食器を通してひしひしと感じた。私は、ハワイで思いがけずこの食器を手に入れた。それから15年以上も経って、改めて戦後間もないころの、日本とハワイの繋がりに、こんな形で接することができたのだ。

 
この深川製磁の食器がどのような経緯で遙か海を越え、ハワイへ渡っていったかは分からない。しかし傷一つないところをみると、最初の持ち主は大切に扱っていたに違いない。その後、新しい世代が価値を感じなくなったか、経済的理由からか、この深川製磁はヒロの町のアンティークショップに並ぶことになった。そんな、時の経過とかつてのハワイの人々の姿、生活に、私は思いを巡らせた。

 
長崎くんちで日本における南蛮文化を感じ、有田で遠いハワイの存在を感じる。歴史を紡いでいる縦の糸と横の糸を思った旅だった。

 
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。