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やさしいHawai’I  第69回  「国旗が語るその国の歴史」

やさしいHawai’I   第69回  「国旗が語るその国の歴史」

【最近の私】今回の原稿を書くために、久しぶりに本を読み漁った。ハワイの州旗は知っていたが、現在のユニオンジャックになったのは1801年以降であることを今回知った。ということは、ハワイの州旗の左上についているユニオンジャックも、1801年を境に変わっていることに、今更ながら気づいた。大きな収穫だった。

 
私のハワイ関係の蔵書の中で、いつも気になっている小さな本がある。ハワイの古本屋で見つけた小さな本。タイトルは
『KA HAE HAWAII』(The Story of Hawaiian Flag by Edith B. Williams)
扇原さんハワイ国旗冒頭

 
そこで今回はハワイの国旗について考えてみたいと思う。

 
まずは日本の国旗「日章旗」はいつ頃正式に使用されるようになったのだろうか。
日章旗

 
長く鎖国政策を執っていた日本は、1983年、突然ペリーの黒船来航を迎えた。翌年の1984年には、日米和親条約を調印。薩摩藩主島津斉彬、幕府海防参与徳川斉昭らの進言により、日本総船印として「日の丸」を掲げることとなった。これが最初の正式な日章旗の使用といわれている。日本船を外国船と区別するための標識が必要となったのだ。
※参考 (一般社団法人 日本船主協会)海運雑学ゼミナール
https://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_283.html

 
星条旗
これはご存じのアメリカ国旗、星条旗だ。左上にある★はアメリカ合衆国を形成している50の州の数を表す。ハワイは1959年、50番目の州となった、アメリカ合衆国では最も新しい州だ。

 
ハワイの旗
では上記の旗は一体どこの旗か、判るだろうか。これはハワイの州旗だ。上から白で始まる8本のストライプは、ハワイの島の数を表している(北から、ニイハウ、カウアイ、オアフ、モロカイ、ラナイ、マウイ、カホオラヴェ、ハワイの8島。この縞の色の順序は時代によって変わってきた)。しかし、違和感を持つ人は多いだろう。アメリカ合衆国の1州なのに、なぜユニオンジャックが左上にあるのか。

 
オーストラリア国旗
かつてイギリスの植民地であったオーストラリア、ニュージーランド、ヴァージン諸島、ツバルなどは、その国旗にユニオンジャックがついていることには納得する。ということはハワイもかつての歴史で、イギリスの影響を強く受けていたことは、容易に推測できる。ではハワイはイギリスとどのような関係にあったのか。

 
ハワイの最初の西欧文化との接触は、1778年イギリスの探検家キャプテンクックによるハワイ諸島発見である。確かにこのことでハワイは以降、大きな変革の時期を迎えるが、ハワイにとって最初に最も大きな影響を与えた西欧人は、クックよりむしろキャプテン・ジョージ・バンクーバーだったと私は思う。

 
バンクーバーは最初キャプテンクックの次席航海士だったが、クックの亡き後、イギリス政府から再度太平洋の探検を命ぜられ、1793年に船長としてハワイにやって来た。それ以後3回にわたってハワイを訪れたバンクーバーに対し、カメハメハは親交のしるしにフェザーヘルメットやフェザーマントなど貴重な品々を贈り(現在、ロンドンの大英博物館に収められている)、バンクーバーは牛や羊などの家畜をハワイに連れてきた(その時の牛が繁殖し、現在のパーカー牧場の牛となった)。カメハメハは当時ハワイ諸島の統一を目指しており、イギリスから大型帆船、銃などを買い集め、それを武器に1810年ついにハワイ諸島の統一に成功する。

 
カメハメハはバンクーバーから、国の統治の仕方など、多くのことを学んだ。そしてジョージ3世に宛てて、正式にイギリスの庇護を受けたいと申し出たが、イギリスはそれに対し関心を示さなかった。
参考:(『The Hawaiian Kingdom 1778-1854 by Kuykendall 』 P54)
red ensign
バンクーバーはイギリスがハワイを保護しているという印に、最初red ensignという、赤地に左上にユニオンジャックが記された旗(イギリス商船が使用した旗)をカメハメハに贈った。

 
その後、カメハメハ所有のダブルカヌーに帆を張ったり、最後のハワイ訪問の際には、ハワイで最初の西欧型帆船を製造し、ユニオンジャックの旗と共に、カメハメハに贈呈した。
初代ユニオンジャック
※バンクーバーが贈ったであろう初代ユニオンジャック

 
カメハメハはこのユニオンジャックを大変喜び、この時以降イギリスの庇護をうけている証として、1794年から1816年までの22年間、ハワイにユニオンジャックを掲げた。
参考:(https://www.crwflags.com/fotw/flags/us-hi_hi.html)
   (『Ka Hae Hawaii The Story of The Hawaiian Flag by Edith B. Williams』P1より)

 
ハワイ国旗2
19世紀に入り、アメリカは白檀の取引や、捕鯨船の寄港地として、ロシアは毛皮を目的としたアメリカ北東部への中継基地として、ハワイへ勢力を伸ばそうとしていた。そんな中1812年戦争(アメリカ=イギリス戦争)が勃発。アメリカから、イギリスの国旗を掲げていることを非難されたハワイは、一時アメリカ国旗を掲げた。しかしイギリスもハワイがアメリカ国旗を掲げることを非難し、そのトラブルを避けるために、カメハメハはハワイ国の旗を作成することを決める。カメハメハにとっては、バンクーバーとの親交およびイギリスからの庇護は重要なことであるが、アメリカが寄港地に落としていく経済的利点も見逃すことはできない。そこで、キャプテン・アダムスやキャプテン・ベックリー、ほかの様々な人間からのアドバイスも考慮し、1816年ごろ(正確な時期については明記がない)現在のハワイ州の旗ができたと言われている。(横縞の色の順序は時代により変わった)
参考:(https://www.crwflags.com/fotw/flags/us-hi_hi.html)
(『Ka Hae Hawaii The Story of The Hawaiian Flag by Edith B. Williams』 P2より)

 
当時の話として興味深いものがある。
1816年、カメハメハはイギリスからForester号を購入し、お気に入りの妻の名である、“カアフマヌ”号と名付け、自らの船で白檀の取引のために中国に入港した。その際、真新しいハワイの旗を船に掲げたが中国からは認識されず、船長のアダムスのアドバイスにより急遽ユニオンジャックが掲げられた。だが入港経歴のないハワイの旗を掲げたことで、船長のアダムスは入港税3000ドル(現在にするといくらになるかはわからない)を払わされた。それを見たカメハメハは以降それに習い、ハワイの港に入るすべての船に対し、同じように入港税を課したという。カメハメハがハワイ諸島を統一できたのは、彼のこのような抜け目のない能力も大きな力になったのだろう。
参考:(『Ka Hae Hawaii The Story of The Hawaiian Flag by Edith B. Williams』より)

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カメハメハ3世の時代に、1843年2月から7月まで、イギリスのポーレット海軍士官がハワイの領有を一方的に宣言し(The Paulet Affair)5カ月ほどユニオンジャックが掲げられたが、イギリス政府がそれを違法と認め、再びハワイの国旗が使用された。

 
時は流れ、ハワイ国内ではアメリカ系市民の勢力が強まり、1893年1月17日、ついに女王リリウォカラニが王位を退くことを決意した。そして2カ月ほど星条旗が挙がったが、1894年ハワイ併合への第一歩としてのハワイ共和国が誕生し、再びハワイの国旗を使用する。だが1898年にはアメリカの準州に、更に1959年には50番目の州となり、ハワイの国旗は降ろされて、星条旗が国旗となった。

 
星条旗 ハワイの旗
しかしハワイの国旗は州旗として、現在も使われている。アメリカ上院議員の重鎮だった、亡きダニエル・イノウエ氏(今はホノルル空港に名付けられている)の、1912年のハワイでの葬儀の時も、歌手エイミーがかつてのハワイ王国国家“Hawaii Ponoi”を歌うなか、星条旗の隣に、ハワイ州旗が並んでいた。


 
ハワイは過去に様々な国の影響を受け、国旗もいろいろと変遷を重ねてきた。しかし、ハワイの人々の心に常に存在するのは、ホノルルのイオラニ宮殿のゲートに掲げられた、この紋章だ。
紋章
紋章の中心の下部に記されている言葉は
「Ua mau ke ea o ka aina i ka pono”
「土地の命は正義とともに永遠に生き続ける」(『ハワイ さまよえる楽園 中嶋弓子』訳P44)
カメハメハ3世によって語られた、この言葉こそが、ハワイのモットー、信念なのだ。

 
ハワイ州観光局の調べによると、現在のハワイを訪れる観光客の数は、アメリカ本土に続き日本が2位となっている。
参考:https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1106511.html
確かに日本にとってハワイは最も身近な外国だ。しかし、こうして歴史を振り返ると、カメハメハ大王をはじめ、カラカウア以前のハワイ王室とイギリスとの絆は大変強固であったことがわかる。地理的にお互いに地球の真後ろにあるイギリスとハワイ。ハワイがもし大西洋にあったなら・・・いや、歴史の流れはそんなに簡単に推測できるものではない。

 
参考文献
〇『KA HAE HAWAII The Story of THE HAWAIIAN FLAG』by EDITH B. WILLIAMS
Privately printed in Honolulu Distribution by South Sea Sales
https://www.findagrave.com/memorial/36362985/edith-b_-williams
〇『SHOAL OF TIME A HISTORY OF THE HAWAIIAN ISLANDS』
BY GAVAN DAWS University of Hawaii Press Honolulu
〇『THE HAWAIIAN KINGDOM 1778-1854』 BY R.S. KUYKENDALL
University of Hawaii Press Honolulu
〇『ハワイ さまよえる楽園』 中嶋弓子著 東京書籍
〇ハワイ州観光局公式プログラム Aloha Program 
https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/169 
〇https://www.britannica.com/topic/flag-of-Hawaii

 
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。

 
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