News
NEWS
やさしいHAWAI’IinCO

やさしいHawaii 第70回 「歴史を知る面白さと怖さ」

やさしいHawaii  第70回 「歴史を知る面白さと怖さ」

【最近の私】このところ、ハワイ島マウナケアが落ち着かない。
https://tmt.nao.ac.jp/know/mauna_kea.html
https://www.excite.co.jp/news/article/Reuters_newsml_KCN1UF01T/
マウナケア山頂に直径30メートルの巨大望遠鏡を設置するプロジェクトに対し、再び地元のハワイアンの人々が反対を唱えているが、複雑な問題が多く関わっており、軽々に賛成だ反対だとは言えない。この件については、改めて書きたいと思っている。

 
今回は、私のハワイへの思いの、大きな転換となった出来事を書きたい。
もう、20年近く前になるだろうか。ハワイ大学のサマーセッションに出席するために、およそ3カ月ハワイ島ヒロに一人で生活したことがあった。どうしてもハワイのことをもっと知りたくなり、インターネットで大学のサイトを調べ、“Hawaii O‘hana”というハワイの社会、文化を教えてくれるクラスがあるのを見つけた。

 

ハワイ大学は、ハワイの言語や文化に関しては、ホノルルのマノア校よりハワイ島のヒロ校のほうが間口が広く、様々なクラスを抱えている。授業料さえ払えば誰でも受講でき、クラスの最後に受けるテストで合格点をもらえれば、当時はその授業の正式な単位を取得できた(最近のハワイ大学のサイトを調べると、事情は少々変化しているようだが)。

 
さて、期間中の滞在場所はどこにしようかとネットで調べると、かつて夫の転勤でヒロに住んでいた時のアパートが、今はハワイ大学と提携していて学生には割安で紹介されているのを見つけた。弁護士をしている男性とホノルルのコミュニティーカレッジの教授をしている女性が、老後の生活のためにこの古いアパートを買い上げたそうだ。私たちが最初に住んでいた70年代以降、ここはヒッピーたちのたまり場となり、ドラッグが蔓延して一般の人々は近づけない状態だったという。それをこの二人の努力で、大学と提携し学生専門のアパートに作り替えたわけだ。建物自体は当時のままで、目の前のワイアケアの池も相変わらず美しかった。いよいよ、この懐かしい場所での新しい体験が始まった。

〔写真・授業で使ったハワイ語の辞書、ノート、教科書『The Polynesian family system in Ka’u』〕

 
2カ月に及ぶ授業が一通り終了し、翌日がサマーセッションの試験という前日、私はすっかり勉強に飽きて、気分転換でハワイ島北部のホノカアという町にドライブに行くことにした。ホノカアは日系移民の歴史を持つ古い小さな町だ。ここは、2009年の映画『ホノカアボーイ』の舞台となったところ。岡田将生主演、長谷川潤、倍賞千恵子、松坂慶子などが出演した。映画の中の一場面で、倍賞千恵子扮する日系人ビーさんのキッチンのカフェカーテンを風が揺らすのを見て、私は泣いた。私が昔ヒロでお世話になった、日系人ヨコヤマさんやシマダさんのキッチンに流れていた風もこれと同じだった。懐かしくて懐かしくてたまらなくて、涙を抑えられなかった。


 
ホノカアに着き、車を道路わきのマカイ(ハワイ語で海側という意味。海岸線に対し、海側をマカイ、山側をマウカと呼ぶ)に駐車して、ぶらぶらと歩いていると、大きな倉庫のような建物に、“Honokaa Trading Company Antiques”とサインがある店を見つけた。アンティーク好きの私は、思わず中に引き込まれるように入っていくと、様々な古物が所狭しと飾られているのが見えた。壁には古い日本の着物が貼り付けられ、天井からは何か分からない古めかしい物がぶら下がり、小さなショーケースには価値のありそうな宝物のような物が並んでいる。部屋の隅には本棚が置いてあった。私は当時、火の女神ペレに夢中で、ハワイの神話の本にばかり目が行き、本棚の中からPELEの文字を追っていると、この店の主人らしい女性が近づいてきた。「何を探しているの?」私が神話の本だというと「神話はどだい人間が作り上げた物語でしょ。その前にまず、人間が実際にどのような歴史を作ってきたか、それを知らなくちゃ」。

 
サモア出身の、スラリと背の高いその女性は、人懐っこい笑顔を見せながら、英語で私にそう語りかけてきた。私はちょっと衝撃を受けた。全くの初対面の、それもほんの1時間ほど前に会ったばかりの人から、そんな風にアドバイスを受けるとは全く予想外のことだった。確かにそうだ。私は子どものころから神話にとても興味があり、歴史はさておいてまず神話、という傾向があった。ハワイをこんなに好きでも、ハワイの歴史に関して私は一体、どれほどの知識を持っているだろう…。

 
DSC_0129
〔写真・火の女神ペレの神話〕

 
そして彼女は本棚から数冊、ハワイの歴史に関する本を紹介してくれた。私は夢中になって、少しでも歴史に関係するような本を棚から漁った。1時間ほどして両手に余るほどの本を抱えて店のレジに行くと、彼女はこう言った。「今日は1日の売り上げが終わったから、もう店を閉めるわ。これから娘たちとバーベキューをするの。一緒にいらっしゃいよ」そこで初めて互いの名前を名乗りあった。彼女の名前はグレース。(後から知ったのだが、実は彼女は前出の『ホノカアボーイ』の中にちらりと出ていた、ホノカアの町では有名な看板娘(おばさん)だったのだ)

 
唖然としている私をそこに残し、彼女はさっさと倉庫のドアを閉めて、店じまいを始めた。「あ~、どうしよう。明日は試験があるし、暗くなると帰りのくねくね道の運転がちょっと心配だし…」

 
そんなことはわれ関せず、彼女は私を車に乗せて自宅へ戻り、キッチンであらかじめ用意していた肉、野菜、バーベキューソース、ナイフやフォークなどをさっさと車に詰め込んで、再び車を走らせた。到着したのはホノカアの先にある海が見渡せる公園。そこには娘さんと彼女のボーイフレンドが待っていた。火を起こして肉を焼き、刻々と沈みゆく美しい夕日を眺めながら、最高の時を過ごした。おまけにグレースは、翌日の試験のために私が準備していたまとめの紙を見ながら、問題を出してくれたのだ。

 
思いがけない素敵な時間を過ごし、いよいよヒロのアパートへ帰るギリギリの時間となった。別れを惜しんで互いにハグしたときに彼女が言った言葉は、
"Atsuko, we had such a pleasant time together. You know what? This is Hawaii’s Aloha spirit"なんだか涙が出るほどうれしかった。初対面の人とその家族と、こんなに楽しい時を共に過ごせたなんて、一生の思い出。アロハスピリットって、なんて素敵なんだと。

 
"Good luck for tomorrow’s exam"という言葉を後ろに聞きながら、私は一路ヒロのアパートへと車をスタートさせた。ホノカアからヒロへの帰路ハマクア・コーストは、途中に谷がいくつもあり、道が大きく島の内側に入り込んでいるところが何カ所もある。ただでさえ夜間は慣れない運転なのに、途中で大雨が降り始め、ワイパー全開でスピードを極力落とし、ドキドキしながら必死の運転だ。ローカルの人たちは慣れたもので、次から次へと私の後ろに何台ものライトが見える。私は4~5台たまると、道路のわきへ避けて、それらの車に先を譲った。ヒロの街の明かりが見えたときは本当にホッとし、アパートに戻った時は正直、死なないでよかったと思った。

 
翌日の試験は無事合格。Hawaii O’hanaの授業の単位は獲得できた。
ホノカアでのグレースとのめぐり逢いは、私のハワイへの興味が変わる、大きな転機となった。ハワイの歴史は面白い。知れば知るほど奥が深い。それと同時に、“楽しいハワイ”だけではない、思いもかけない事実を知るかもしれない怖さも、同時に感じるようになった。ほとんどの人にとってハワイは南国のパラダイス。しかしその陰には、あまり語られていない、哀しい歴史も存在することを徐々に知ることになる。

 
—————————————————————————————–
Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
—————————————————————————————–

 

やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。

 
バックナンバーはこちら