やさしいHAWAI‘I 第76回 『カアフマヌの“たられば”』
【最近の私】ようやく爽やかな日が続くようになった中、10月23日、地元井草八幡宮の流鏑馬が久しぶりに執り行われた。4年に一度の神事だが、前回はコロナ禍で中止。地元の私たちにとっては、待ちに待った行事。目の前を馬が疾走し矢を射る迫力はなかなかのものだった。
ハワイ島の西部カイルア・コナからコナ空港の脇を通りカワイハエまでを南北に走るハイウェイは、クイーンカアフマヌ・ハイウェイと名付けられ、毎年アイアンマン世界選手権大会の自転車競技では、主にこの道路が使われます。コロナ禍の影響で、2020年、2021年と中止になっていたハワイで最も過酷なレース、アイアンマンは、3年ぶりに今年(2022年)10月6日~8日に再開されました。
かつてここに膨大な量の溶岩が流れたその中を、ひたすら北に向かって走る1本の道。
途中にワイコロア・ビレッジ、マウナラニ・リゾート、マウナケアビーチ・ホテルなどが点在し、ホテルに近づくと真っ黒に広がる溶岩の中から、突然オアシスのように緑の芝生が広がり、ブーゲンビリアやハイビスカスの鮮やかな花々が現れます。
そんなハイウェイに名付けられた、カアフマヌという女性。しかし、知られているのはカメハメハの妃になって以降のことで、彼女の幼少時代に関しては、ほとんど資料がありません。
〔周囲が溶岩に囲まれているクイーンカアフマヌ・ハイウェイの中を走るバイク〕
出典:Red Bull アイアンマン世界選手権2019レポート&フォトギャラリーから
https://www.redbull.com/jp-ja/2019-ironman-world-championship-report
このコラムの第75回(https://www.jvta.net/co/yasasiihawaii-75/)で、カメハメハ大王がハワイ諸島を統一し、1819年に亡くなった後を引き継いだのが『最もお気に入りの妃、カアフマヌ』と述べました。あの大王と言われたカメハメハに最も愛されたのは、なぜか。18人とも21人とも言われている多くの妻の中で、なぜカメハメハはカアフマヌを特別に愛したのか。一体彼女はどんな人物だったのか。わずかな資料を基に私は独自にカアフマヌ像を作り上げていくことにしました。
〔カアフマヌの肖像画〕 出典:ハワイ観光局アロハプログラムから
https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/463
まずカアフマヌはどのような両親の下に生まれたのでしょうか。
父親はもとハワイ島コナの首長で、マウイ島の首長の血を引く母親と結婚します。しかしマウイ島には最強の首長がおり、マウイ島での力をさらに増大しようと、この結婚に強く反対しました。ハワイ島にいた両親は彼に追われ、モロカイ島へ、さらにはマウイ島のハナ湾に位置するカウイキに逃げました。カアフマヌが生まれた年に関しては、1768年、1777年など諸説ありますが、最強の首長の力が及ぶのを恐れ、母親は祖母の助けで、ひっそりとカウイキの洞窟の中でカアフマヌを出産しました。
明敏で誰からも信頼されていた祖母は、いみじくも「カアフマヌは将来ハワイの支配者となり、すべての親族が彼女の前にひれ伏すであろう」と予言し、後年その予言は現実のこととなったのです。
カアフマヌは3人姉妹で、他に兄弟が2人いました。父親は、好戦的で野心に富んだ人物でした。彼はハワイ諸島統一をもくろんでいたカメハメハの戦場に赴き、常に先頭に立って兵士を率い功績をあげ、カメハメハから大きな信頼を勝ち得ていました。そして将来ハワイ諸島のリーダーとなるのはカメハメハであると予測し、自分の娘3人をすべてカメハメハの妃にしたのです。
最初に送られたカアフマヌは、13歳(これも10歳だったという説もあります)の時からカメハメハの近くに置かれました。ハワイ諸島の統一に向け、日々激しい戦いが続く真っただ中に生き、カメハメハという偉大な征服者が権力を得ていく劇的な出来事を、カアフマヌは身近で目撃したのです。父親の好戦的で野心に富んだ血を受け継いだ彼女は、権力を持つことに強い魅力を感じたに違いありません。そして16歳の時にはカメハメハの妃となります。
〔カアフマヌと言えば必ず使われる肖像画。短いカヒリ(棒の先に鳥の羽を飾ったもの。その人のマナが宿ると言われている)を持っていて、大柄で豊かな体つきをしている。〕
出典:ハワイ観光局アロハプログラムから
そんなカアフマヌはとび抜けて美しい女性でした。ハワイの歴史家カマカウはこう言っています。
『カアフマヌは身の丈は6フィート(1.8m)スタイルが良く、非の打ち所がない魅力的な女性だった。彼女の腕はバナナの茎の内側のようで、指先は細く、頬はバナナのつぼみのように細長くピンク色…』
彼女の美しさが、すべてバナナに例えられているのはなぜでしょうか。実は古代ハワイでは、バナナは女性が決して食べてはならない食べ物であるという厳しいカプ(禁止を意味する。英語のタブーの語源となったポリネシア語)がありました。古代ハワイには、生活の隅々にまで及ぶ多くのカプがあり、中でも食に関するカプは大変厳しく、男女は決して一緒に食事をしてはならない(アイカプと呼ばれていました)、女性はバナナや豚肉、ココナッツを食べてはならない、等々。掟を破ったものはほとんどの場合死刑となるほど厳しいものでした。カアフマヌは、そんなカプの食べ物であるバナナに例えられていた、ということは、よっぽど美しかったのだろうと私は想像します。
カアフマヌは大変自己主張の強い女性だったようです。ほしいものは必ず手に入れる。白人の船がやって来る度に、彼女は白人たちと共にカプの対象となっていた豚肉も、酒も、すでに食していたようです。しかし何を食べても天罰が下らなかったので、このころからカアフマヌの心の中には、カプを恐れない心が芽生えていたに違いありません。カメハメハとの生活でも、カアフマヌはなかなか彼の言う通りにはならなかった。そんなところがまた、カメハメハの心を惹きつけたのでしょう。
母親を見れば、このカアフマヌの行動は何も特別なことではなかった、ということがよく分かります。イギリスの探検家ジョージ・バンクーバーは3回ハワイを訪れ、カメハメハと懇意になり、カアフマヌとも会っています。バンクーバーはハワイに滞在中、船にカアフマヌの両親を招待しました。当時のハワイの女性たちは、男性と共に食事をすればカプを破り死刑になると恐れたのですが、母親はどうしても参加したいと、夫と共にバンクーバーの船ディスカバリー号にやって来て食事をともにしました。母親は彼女自身の意思で自由の扉を開けたのです。カアフマヌはそんな母親の血も引き継いでいたのでしょう。
1819年カメハメハの臨終の折、『カメハメハは私を“クヒナ・ヌイ”(日本で言えば摂政。王と同じ権力を持つ)に指名すると言い残した』とカアフマヌは人々に宣言しました。この遺言により、カアフマヌはカメハメハ2世、3世を通して、実際にはハワイ王国で最も力を持つ人物となったのです。しかし臨終の場にはほかに誰もいなかったのですから、その真偽のほどは分かりません。
カメハメハの死後、カアフマヌはそれまでのハワイ社会の基盤であったカプをすべて撤廃しました。なかでも男女が一緒に食事をすることは最大のカプでしたが、“アイカプ(ともに食事をしてはならない)”は廃止となり“アイノア(ともに食事をする)”となりました。また、これまで信仰の対象となっていたヘイアウ(神殿または、神へ奉げる儀式をする場)はことごとく破壊され、偶像も燃やされました。ただペレ信仰だけは、秘密裏に存続していきました。火山は実際噴火し、周囲に脅威をもたらしたからです。火の女神ペレは人々の心の中に生き続けました。
カプを廃止することで、カアフマヌは単に男女の差別をなくそうとしただけなのでしょうか。いいえ、そこにはもっと深い彼女の権力への渇望があったのだと、私は思います。彼女にとって、カプとなっていた食べ物はすでに容易に手に入りました。しかし女性には決して許されなかった権力、すなわち神との交信を行えるのは、カフナ(神官または特殊技能をマスターした専門家たち)だけでした。カアフマヌは完全な権力を得るために、ハワイの神をも否定し、カフナの力を奪い、ヘイアウを破壊したのです。
ハワイの神を撤廃した時を同じくして、1820年キリスト教がハワイにやって来たことは、前回すでに述べました。カアフマヌはこの新しい宗教に接し、大きな光明を見たのでしょうか。それとも、このキリスト教をさらに自分の権力を確実なものにするために使おうとしたのでしょうか。カアフマヌは自らクリスチャンになりたいと申し入れ、1825年、神にのみ愛をささげることを誓い、ようやくエリザベスという洗礼名を授かります。自由奔放で、欲しいものはなんでも手に入れる貪欲なカアフマヌでしたが、ここで、“New Kaahumanu”が誕生したのです。これ以降のカアフマヌは、ハワイの人民のために、多くの功績を残します。彼女は自ら英語の読み書きを学び、ハワイの人民にも教育を与えるために、学校を開設しました。マウイ島には彼女の名前の付いた教会があり、最近では多くの日本人がここで結婚式を挙げるそうです。
そんなカアフマヌに関して、私がずっと考えているハワイ王朝の最大の『たられば』で今回を締めくくりたいと思います。
『もしも、カメハメハとカアフマヌの間に子供が生まれていたら…。』
カメハメハとカアフマヌには子供がいませんでした。もし、ハワイ諸島を統一したあのカメハメハと、長年古代ハワイの社会基盤となっていたカプを全廃したカアフマヌ、という卓越した能力を持ったふたりに子供が生まれたとしたら、一体どんな人物になったでしょうか。カメハメハの“聖なる妻”と呼ばれていたケオプオラニは心穏やかな、控えめな人物だったそうです。そんな彼女から生まれたカメハメハ2世と3世。もしかしたら、カアフマヌの子は、この二人を凌ぐ大物になっていたのかも。そうなるとハワイ王朝は、まったく違う状態になっていたかも。
そう、「たられば」の世界です。
〔ハワイの最大の神話「ペレ」に必ず登場する、オヒアレフアのハナ〕
【参考文献】
・『KAAHUMANU MOLDER OF CHANGE』 JANE L. SILVERMAN
・多文化社会ハワイ州における教育の実態と展望 田中圭次郎(日本の教育学者、佛教大学嘱託教授)
・アロハプログラム ハワイ州観光局が運営する公式ラーニングサイト https://www.aloha-program.com/
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI‘I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。
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