やさしいHawaii 第80回 カウアイ島最後の王の墓の謎
【最近の私】昨年の10月から、週1で水泳教室に通い始めました。初級クラスです。バタ足から始めて、もうクロ―ルはOK。今バタフライに挑戦中ですが大苦戦中。でも、何かを学ぶことの楽しさを満喫しています。
登場する人物名
カアフマヌ カメハメハ大王のお気に入りの妻
ケオプオラニ カメハメハ大王の聖なる妻
カウムアリイ カウアイ島の最後の王
フメフメ カウムアリイの長男 後にジョージ・カウムアリイ名付けられる
デボラ・カプール カウムアリイのお気に入りの妻
ジョージ・バンクーバー イギリスの海軍士官
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今回も、歴史上の確実な情報を集めつつ、想像をたくましくして、自由に人物像を描いていきたいと思います。
前回(第79回参照)、マウイ島ラハイナにあるカメハメハの聖なる妻ケオプオラニの墓と、カウアイ島の最後の王カウムアリイの墓について述べました。カメハメハと何度か敵対したカウアイ島の王の墓が、なぜ自国の島カウアイ島ではなくマウイ島にあるのか、またカメハメハの聖なる妻の墓の隣にあるのか、その謎を解き明かすことが、今回のテーマです。
それにはまず、カウアイ島の最後の王カウムアリイがどのような人物であったかを知る必要があります。
彼は高位の首長の両親のもと、1778年または1780年(諸説あり)カウアイ島のワイアルアに生まれました。
カウアイ島はハワイ諸島の最北に位置し、当時はロシアを始め多くの外国船が立ち寄りました。イギリスの海軍士官で、北米、ハワイなどへ遠征に来ていたジョージ・バンクーバーは、カウムアリイが12歳前後の時に会っていますが、その時の印象を、『愛そうが良く陽気で、素早い理解力を持っている。素朴で人懐っこいが生来の礼儀正しさを持ち、洗練された雰囲気がある』。そして『顔立ちが西欧人と似ていて、他のハワイ人と比べると肌の色も明るく、整った顔立ち』と述べています。
The Kauai Museum worked with graphic artist, Joe Aragon, and painter,
Evelyn Ritter, to produce a portrait of King Kaumualii.
Photo: Mallory Roe
(カウアイミュージアム所蔵のカウムアリイの肖像画、グラフィックアーティストのJoe Aragonと画家Everyn Ritterの作。Mallory Roe 撮影)
カウムアリイはバンクーバーから英語を話すことを学びました。とても好奇心が旺盛で、学んだ英語で他のイギリス人やアメリカ人の船員たちと交流し、未知の世界への興味をふくらませたのです。
これは全くの私の身勝手な解釈ですが(どの資料にも全く書かれていないことです)地理的に、白人との交わりが多くあったカウアイ島です。当時の社会状況下で、カウムアリイの家系のどこかで、白人の血が混じった可能性があるのではないかと思うのです。(当時のハワイの環境から言えば、ありうる考え方だと思います。島にやって来た船員たちは、土地の女性と交流したいと思う者が大勢いましたし、白人とのかかわりを願った土地の女性も多くいたと思われます)。私は、彼が他のハワイ人と顕著に違う外見であったということは大きな意味を持ち、後の彼の人生を変えた理由の一つになったと思います。
カウムアリイには数人の妻がいましたが、平民の女性との間に最初の男子をもうけ、フメフメと名付けました。ところが妻の一人が、この男子の存在はのちのカウアイ島王位継承に邪魔になると考え、フメフメが6歳になった時、夫カウムアリイに息子を島から出すように要求したのです。カウムアリイ自身も少々英語を話し、アメリカでの英語教育の必要性は感じていたに違いありません。妻にせかされたこともあって、当時カウアイ島に出入りしていた貿易船の船長を信用し息子を預け、かなりの高額になる白檀を渡してアメリカでの教育費用に充てるように託しました。しかし何と言ってもまだ6歳の息子を、見も知らぬ、言葉も分からぬ外国へ、他人の手にゆだねて送り出す・・・私には想像もできません。
その後のフメフメは、思いもよらない人生を送ることになるのですが、それについては次回に書きたいと思います。
当時、カメハメハは他のハワイ諸島を支配下に置きながら、カウムアリイが治めるカウアイ島には手こずっていました。1796年、島への侵略を試みますが、大嵐に遭い船が転覆し、失敗に終わります。その数年後1804年(1803年という説もあります)再びカウアイ島への攻撃を仕掛けますが、今度は流行していた病(おそらくコレラか腸チフスであろうと言われています)に多くの兵士たちが倒れ、またもや不成功に終わり、なかなかカメハメハの完全な支配下となりませんでした。
カメハメハが1819年に亡くなり、その後を継いだカメハメハ2世リホリホは、王妃カアフマヌの指示でカウムアリイを誘拐しホノルルへ連れてきます。権力に貪欲であったカアフマヌは、カウムアリイを自分の夫にして、カウアイ島への支配を確実なものにしようとしたのです。
当時カウムアリイには、デボラ・カプールというお気に入りの妻がいました。カプールは夫カウムアリイをカアフマヌに奪われたあと、夫の他の妻との間に生まれた息子と結婚します。しかしカアフマヌは、このカプールの2番目の夫もホノルルへ連れていき、夫とするのです。
こうして、カウムアリイの人生は、周囲の女性たちによって大きく翻弄されます。その理由は、彼自身の性格が優しくはあったが確固たる強い信念がなかったこと(私の勝手な想像ですが)、それに加え先述したように、彼が際立って白人に近い外見を持ち、ハンサムであったからなのではないかと、私は思うのです。強く賢く美しい、権力欲のある女性たちにとって、カウムアリイは手に入れたい魅力を持った男性だったのでしょう。
カアフマヌに略奪されたカウムアリイですが、カアフマヌの愛を受け入れることはなかったそうです。しかし近くには、カアフマヌの全ての点で対照的な、カメハメハの聖なる妻ケオプオラニの存在がありました。物静かで心優しいケオプオラニと、生来の礼儀正しさと優しさを持ち、洗練された雰囲気のカウムアリイが心を通させたことを想像するのは、そんなに困難ではありません。ケオプオラニは1823年没、カウムアリイは翌年1824年に亡くなっています。お互いの運命の悲しさを語り合ったこともあったのではないでしょうか。(ケオプオラニの人生については第78回参照)
カウムアリイは「自分の亡骸はカウアイ島に戻さず、マウイのケオプオラニの墓の隣に埋葬してほしい」と遺言を残したそうです。
私の今回のテーマ、「なぜカウムアリイの墓がケオプオラニの隣にあるのか」。この遺言で謎は解明されたかのように思われますが、カウアイ島の王という立場の人物が、最後は自分の島に戻ることなく、単に思いを寄せた女性のそばで休みたいと、果たして思ったのでしょうか。
私はここにはもう一つ、カウムアリイがカウアイ島への思いを断ち切る大きな理由があったと思うのです。それについては次回述べたいと思います。
〔右がケオプオラニと娘のナヒエナエナの墓。左がカウアイ島最後の王カウムアリイの墓〕(写真はハワイ州観光局アロハプログラムから)
参考資料
- 『A Kaua‘I Reader 』 The Exotic literary heritage of the gaden island by Chris Cook
- 『Shoal of Time』 A History of the Hawaiian Islands by gavan daws
- 『Ruling Chiefs of Hawaii』revised edtion by S.M.Kamakau
- 『The Hawaiian Kingdom 1778-1854 by R.S.Kuykendall University of Hawaii press Honolulu:
- 『Hawaii A History From Polynesian Kingdom to American State』
By Ralph S.Kuykendall and A.Grove Day
George Prince Tamoree: Heir Apparent of Kauai and Niihau
The Twenty-Fourth Annual Report of the Hawaiian Historical Society
『Kaumualii, The Last King of Kauai』 by John Lydgate
- https://kauaikingkaumualii.org/historic-timeline-of-the-king/
- https://nupepa-hawaii.com/2014/05/23/on-kaumualii-and-kaahumanu-1880/
- https://www.encyclopedia.com/women/encyclopedias-almanacs-transcripts-and-maps/kapule-deborah-c-1798-1853
- https://www.newspapers.com/article/honolulu-star-bulletin-the-1st-isaac-kai/21294141/
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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。
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