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やさしいHawai‘I 第82回 番外編 私がハワイを綴る理由

やさしいHawai‘I  第82回 番外編 私がハワイを綴る理由

 

前回ハワイの歴史の中で、キリスト教の布教によって苦しみ、わずか28年の波乱万丈の人生を終えたフメフメについて(第81回:フメフメの28年の人生)書き終えた時、私の心の中では次に取り上げる人物はすでに決まっていました。

それなのになかなか書けなかったのです。書けなかったというより、書くことから逃げていたというのが正直なところです。あえて言えば、個人的な言い訳にしかならないようなことが次々と起きて書く気にならず、何となく落ち込んだ状態になっていたのです。しかし、先日、あるきっかけから久しぶりに作家・沢木耕太郎氏の作品を読み返すことになり、その言葉の中に私がハワイの人物について繙く意義を感じることができました。今回は番外編としてそのいきさつをお話ししたいと思います。

落ち込んでいた私に届いたのは、高校時代の仲間でここ10年余り続いている五街道歩きの最終のお誘いでした。東海道から始まり中仙道、甲州街道、日光街道、そして今回は最終となる奥州街道の白河の関を渡るということなのです。五街道全行程でおよそ1500キロ。私は最初の東海道、そして中仙道はちらりちらりと参加し、あとは泊りがけの旅はムリな状態だったので、すべて中抜け。でも最後のシメとして白河の関だけは越えて五街道制覇の気分を味わいたく、思い切って参加することにしました。

メンバーは全部で14人。旗振り役が必要なくらいの大所帯の団体旅行です。そのメンバーの中に、東北の話題を扱っているある新聞社の記者と懇意にしている人がいました。彼が何かの機会に、今回の街道歩きの話をその記者にしたところ、大変興味を持ち、取材されることに。とにかく半世紀も前に同じ高校だった仲間が、こうして10年もかけてひたすら街道を歩いているわけですから、少々珍しいグループと思われたのでしょう。仙台到着の夜、その記者の方も加わって牛タンにビールを飲みながら全員が盛り上がっているなかで、私たちは街道歩きの魅力について、いろいろと質問を受けました。果たして数日後、それをもとにした素晴らしい記事が送られてきたのです。

著者が私物で撮影

その冒頭は、

「途上にあること」。同宿の旅人に「禅とは何か」と聞かれ、作家の沢木耕太郎さんはこれまで通り過ぎた長い道を思い浮かべて、そう答える。著書『深夜特急』にあるトルコでのエピソードだ。(河北新報の「河北抄」からの引用)で始まっていました。

私は久しぶりに作家の沢木耕太郎氏を思い出しました。一番好きな『一瞬の夏』や『深夜特急』は何度読み返したことか。ちょうどそんな時、大学の友人と話す機会があり、彼女から沢木さんの『イルカと墜落』を読んだかと聞かれました。彼女はボランティアでこの作品を点訳したそうです。実はまだ読んでいなかったこの本は、私の本棚の中に並んでいました。「沢木耕太郎が好きなら、面白いから読んでみたら」そんな彼女の言葉がきっかけで、私はしばらく夢中になって沢木耕太郎氏の作品を読み漁りました。そしてこんな文にぶつかったのです。

『――声を持たぬ者の声を聴こうとする。それがノンフィクションの書き手の一つの役割だとするなら、虐げられた者たち、少数派足らざるをえなかった者たち、歴史に置き去りにされた者たちを描こうとすることは、ある意味で当然のことといえる。』…

これは、彼が「浅沼稲次郎刺殺事件」の山口二矢の自決を描いた『テロルの決算』についての、『死ぬ、生きる』と題した短文(文庫本ためのあとがき)の中にあった言葉です。

これを読んで私は、はたと気付かされたのです。「ああ、ハワイの歴史には波乱の人生を送りながらも歴史に埋もれた人たちが多い。私がそこにフォーカスして書きたいと思っている人物、書かなくてはならないと思っている人物は、たくさんいるのだ。私がこのコラムで目指していることは、まだまだ完結していない。途上にあるのだ」と思い出させられたのです。あの沢木耕太郎さんの言葉を読んで、いかに自分が未熟で怠け者であったかを自覚させられたのです。

とにかくもう一度頑張ってみよう。きっかけは何でもいいではないか。そんな気持ちが湧いてきました。そう、フメフメの次に書こうと決めていた人物、「オプカハイア」について、とにかく書き始めよう。

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Written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)
1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
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やさしいHAWAI’I
70年代前半、夫の転勤でハワイへ。現地での生活を中心に“第二の故郷”を語りつくす。
 
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