映像翻訳が作る“新しい力”とは。PFF受賞・稲田百音監督ロングインタビュー
日本映像翻訳アカデミー(JVTA)は、海外の大学や映画祭と連携し映像翻訳を指導するほか、日本のコンテンツや新しい才能が国境を越えるサポートをしている。
海外大学字幕プロジェクト(GUSP)。JVTAの講師がリモートで海外の大学の教壇に立って、日本語を学ぶ学生たちに日英字幕翻訳を教えるこのプロジェクトでは、学生たちがコースを通して字幕翻訳した作品をオーディエンスに向けて上映する機会がある。
2021年、8回目の開催となったGUSPでは、ドイツ・ハインリッヒ・ハイネ大学の38名の学生たちが短編映画『アスタースクールデイズ』を、ベルギー・ゲント大学の36名の学生たちが『タヌキ計画』を字幕翻訳。そして、6月1日から6日に開催の世界最大級の日本映画祭「ニッポン・コネクション」でオンライン上映されることになった。
日本の言葉やカルチャーが大好きな学生が字幕翻訳のスキルを身につけ、映像作品を世界に発信すること――。映画を監督した、クリエイターの目線からはどのように映るのだろうか? JVTAでは同映画祭開催中の期間に、『アスタースクールデイズ』を手掛けた稲田百音監督に話を聞いた。
●『アスタースクールデイズ』あらすじ
孤独や不安、他人との違いを抱えている4人の高校生が、風変わりで花好きな男子転校生・奏との出会いを通して変わっていく群像劇。同じクラスメートの4人は、奏と共に「冬の遠足」の行先を決める担当委員になる。足並みがそろわない中、奏は4人それぞれに花と花言葉を贈り始める。最初は気味悪がっていた生徒たちだが…。第42回「ぴあフィルムフェスティバル」コンペティション部門・PFFアワード2020「観客賞」受賞作品。
――今回、世界に向けてリモート上映される『アスタースクールデイズ』。見所を教えてください。
稲田監督:
近頃、特に強調される「多様性」という言葉。一人歩きしがちなその言葉と、それが示すものはなぜ大切なのか。「いきすぎた個性」は排除され「ちょうどいい個性」がもてはやされる社会の中で、自分の「個性」を受け入れたい自分と、受け入れたくない自分が混在するという矛盾を抱える私たちは、その言葉をどのように理解すればよいのか。
私はこのようなことを探るために、この映画を高校3年生の時に学校の仲間と共に制作しました。リアルな高校生たちが自らの日々の葛藤とも改めて向き合いながら制作した作品です。花と人との繋がりにも注目しながら観ていただければと思います。
――世界中の人から作品にアクセスがあります。期待することを教えてください。
稲田監督:
この映画のテーマやメッセージは、日本のみならず、他の国の方々の日常にも通ずるものがあると思います。一方で、大きく異なる部分ももちろんあるかと思います。映画という媒体を通して、国の壁を越えて意見を共有することは、私も含め、自分の中にある固定観念や無意識の偏見に気づくよい機会にもなるのではないかと考えています。
――字幕版の作品をご覧になって、どのように感じましたか?
稲田監督:
まず、つけていただいた字幕と共にもう一度作品を見返してみて、率直にとても感動しました。日本語のセリフのニュアンスを残しつつ、限られた字数の中で英語で表現するのは非常に難しい作業であることに加えて、この映画には日本の若者言葉やスラングが多用されていたと思います。にもかかわらず、作品に込めたメッセージや細やかな伏線までもがしっかりと取り込まれている的確な訳だと感じました。その上、もはや字幕の訳の言い回しや表現の方が美しいのではないかと思った部分がたくさんありました。その中でも、特に心惹かれた4カ所を挙げさせていただきたいと思います。
① 番上が友達に「ワンチームで頑張ろうな」と言った後、友達が番上に向けて「それ言いたいだけやないかい」とツッコミを入れるセリフが “Cowabunga!” と訳されていました。面白いスラングだなと思って調べてみたら、元を辿るとサーファー文化のスラングだったと知りました。実は、このセリフを放った友達役を演じてくれた彼の趣味がサーフィンなので、まさかそこまで感じ取ってこの言葉を選んでくださったのかなと驚きました。
【登場人物のひとり・番上が映るシーン(左)と字幕についてディスカッションする学生たち】
② いぶきに向けてお花屋さんの店長が言った「香りたいときに香りたい花を香る。たまにはそんなわがままも聞いてあげると、お花も喜ぶと思うよ」というセリフが “Flowers are happiest when they grow freely. So have the courage to grow the way you want to”と訳されており、その後のいぶきの「香りたいときに香りたい花をか…」という呟きは、“The way I want to grow, huh?”と訳されていました。growという言葉が軸に置かれつつ、元のセリフが包み込んでいたものが綺麗な言い回しで分かりやすく表現されていて、私好みの訳でした。
③ 奏がそれぞれの先生に花を手渡した後に言う「どの花も素敵な香りがするので、ぜひ香り合ってみてください」というセリフは “Each smells great but they work best as a bouquet”と訳されていました。奏は、この凸凹な3人の先生たちがそれぞれの花を香り合うという行為によって、互いの個性を受けとめ合えればと思って言ったのだと思うのですが、それを「ブーケ」という言葉を使ってまとめたところに魅了されました。
④ 奏がサフランを渡そうとして番上のことを追いかけているシーンの奏のセリフの訳の中の、“But in order to laugh one must know sadness. Eating too much means forgetting your sadness.”という部分は4つの中でも特に素敵な訳だと感じました。元のセリフから、「悲しみを知っているからこそ、本当の喜びを感じられる」というところまで解釈されていて、じっくりと作品全体を観ながら字幕を作っていただいたことがとても感じられて嬉しかったです。
――新型コロナウイルスの影響で、街の映画館が苦境に陥っていたり、映画製作者が打撃を受けたりしています。一方で、世界はリモート化が加速し、今回の映画祭のように視聴者が映像コンテンツにアクセスしやすくなった側面も。思い描く未来の姿があれば教えてください。
稲田監督:
新型コロナウイルスの終息は未だ見えませんが、映画館や製作者への支援は積極的に行われるべきだと考えます。サブスクなどが発展したとはいえ、特にミニシアターなどの映画館は「作品を見る」という目的以外にも、その空間それ自体に価値があり、需要はなくなることはないでしょう。また、映画全体としての需要は高まっているように感じます。感染拡大で外出が阻まれ、家にいることが多くなり、落ち込む気分を上げるためや新たな趣味として映画を観ている人も多いのではないでしょうか。危機的な状況だからこそ、映画が力を発揮している今、製作者の支援は必要ではないかと思います。具体的に表現することは難しいところではありますが、将来的には、新型コロナウイルスが消滅し、この危機を通して発展したリモート技術を生かしながら、映画館などの空間も残しつつ、新たな映画の楽しみ方を開拓していくことに私自身も貢献できればと思っています。
映像が翻訳された瞬間、その作品にアクセスできる人が一気に増えます。さらに、今後はリモート技術の普及により、物理的に作品にアクセスできる人も飛躍的に増えるでしょう。翻訳にも、今回のリモート映画祭に期待していることとして書かせていただいたことと同じことが言えると思います。映像翻訳は、国境を越えた意見の共有を可能にし、自分の中にある固定観念や無意識の偏見に気づくきっかけを作る力があります。それによってすべての人々住みやすい社会、生きやすい世界を作っていくことを後押しするものであると言えるのではないでしょうか。
――今回の映画祭で作品を見る人、字幕をつけたチームにメッセージをお願いします。
花は色も、香りも、形も、咲く時期も、枯れる時期も種類によって違います。もっと言えば、同じ種類でも、一輪一輪でそれらは異なります。人も同じですが、私たちはそのことをついつい忘れてしまいがちです。『アスタースクールデイズ』を通して、お互いの花を香り合える空間がもっと広がっていけばいいなと思っています。
今回、字幕を作っていただいて、自分の作品を新たな視点で観ることができ、映像翻訳の力を実感しました。これからも、国と国の架け橋として、映像作品の可能性を広げていただければとても心強いです。
稲田百音●いなだ・もね
2001年生まれ、東京都出身。小中学生の頃から趣味でアプリを使った動画編集や撮影をしていた。
高校で映画制作団体を立ち上げ、『君は真夏のベガだった』(’18年)を監督。
高校在学中に映画をもう一本作りたいと思い、本作を完成させた。
「ニッポン・コネクション」ウェブサイトから視聴申し込み可能:
●JVTA Meets PIA Film Festival: Shorts
https://watch.nipponconnection.com/en/film/jvta-meets-pia-film-festival-shorts/