少しのミスも見逃さない!覚悟を持って挑んだ「エミー賞」字幕翻訳
映画好き・ドラマ好きの間で話題となるのが、海外の賞レースだ。3月開催の米アカデミー賞を筆頭に、多くの賞レースが開催される。その中の一つが、アメリカ合衆国で放送される優れたテレビドラマ、番組、テレビ業界の功績に与えられる「エミー賞」である。2024年は1月15日(現地時間/日本時間16日)に第75回エミー賞(プライムタイム・エミー賞)の授賞式が開催。日本映像翻訳アカデミー(JVTA)では総勢38名の翻訳者とともに、U-NEXT配信のレッドカーペット番組と授賞式の字幕翻訳を担当した。
時間勝負の賞レース翻訳。限られた時間でもリサーチには手を抜かない
当日は日本時間朝9時からレッドカーペットの様子が配信された。その後10時に授賞式が開催され14時に終了。翻訳作業はその後からスタートした。約5時間分の翻訳に与えられたのはおよそ2日間。そのため「聞きおこし担当」「レッドカーペット翻訳担当」「授賞式翻訳担当」「テロップ担当」「通しチェック担当」「表記チェック担当」「誤訳チェック担当」と大きく7つのセクションが用意された。通しチェック担当として参加した武富香子さん曰く「『少しのミスも見逃さない』というJVTAの覚悟を感じた」という徹底したチーム編成だ。
映像翻訳はただ言語を訳せばいいわけではない。翻訳作業と共に重要なのが「情報の裏どり」である。今回のような賞レース番組で言えば作品の日本語タイトル、人名の日本語表記、番組の詳細などなど…。エミー賞には様々な部門があり、関わる作品や関係者の数も膨大だ。自分が翻訳するパートにどの作品が関わっているか事前に分かれば、もしくは運よく担当箇所が自分のよく知っている作品番組関連のものだとすれば、裏取り作業の時間が短縮できる。しかしながら、そんなことは滅多にない。アメリカのリアリティ番組『サバイバー(SURVIVOR)』の司会者へのレッドカーペットでのインタビューを翻訳した武政涼子さんは、その裏取りの重要性を改めて認識した。
「インタビューの中で進行役が突如『What? 18, right?』と聞く場面があります。年齢の話なので、『18歳よね?』と訳出しても問題なさそうでしたが、ここは番組への応募条件の話をしていたのです。よって訳文は『条件は18歳?』と情報を補足する形で変更となりました。また調べると実際は16歳から応募が可能でした。交わされている会話が何の話題なのかを知るためにも、裏取りやリサーチが重要だと改めて認識しました」(武政さん)
裏取りの大切さは、授賞式の翻訳を担当した池田由香さんも同様に語っている。池田さんはドラマ・シリーズ部門の主演男優賞発表シーンを翻訳した。同シーンでプレゼンターを務めたのは、アメリカで5年に渡って放送された人気ドラマ・シリーズ『アリー my love(Ally McBeal)』の主演であるキャリスタ・フロックハート。『アリー my love』でおなじみの男女共用トイレを模したセットと共に登場し、同ドラマの共演者とダンスするシーンは授賞式のハイライトの一つだ。キャリスタのスピーチでは、同ドラマに関する小ネタや人名も登場。作品を知る人なら『あっ!』とうれしくなる要素が満載だった。池田さん自身は『アリー my love』の存在は知っていたものの、作品自体は未視聴だったという。そのためファンが同シーンを純粋に楽しむことができるよう、必死でドラマの情報を調べて翻訳を行った。
様々な視点で字幕のチェックを行う「チェッカー」とは?
映像翻訳は翻訳が終われば終了、とはならない。翻訳者が作った「初稿」には、第三者によってチェック・修正が加えられる。このチェックを行うのが「チェッカー」という存在だ。翻訳者に比べると一般的にはあまり耳なじみがないであろう「チェッカー」だが、一体どのような作業をしているのか?通しチェッカーとして参加した武富香子さんはその役割について、「通しチェッカーは表記・誤訳・スポッティング全般のチェックを担当します」と紹介してくれた。
「SST(字幕制作ソフト)のチェック機能やWordを活用した校正など、翻訳者として納品前に必ず行う確認作業に加え、今回のように複数の翻訳者さんが担当する場合は話者の口調がバラバラになることがあるので、それも統一します。また、今回はクライアントさんからノミネートリストが配布されたので、賞の名前、人名、作品名がリストと合っているかどうかも一つひとつチェックしました。さらにクライアントに送る申し送りの書式にも指示があったので、それが守られていない場合は修正。SSTの原文ウインドウ(元の英語セリフを入れるべき箇所)が空白だった場合や、スクリプトとセリフと合っていない時なども基本的には修正しました」(武富さん)
翻訳者がどれほど気を配って作業をしても、ミスを0にするのは難しい。特に賞レース番組のような時間との勝負になる翻訳作業においてはなおさらだ。通しチェッカーはまっさらな目で全体を見渡し、見落としを一つひとつ潰していく。チェック作業は初稿納品後に一晩で終える必要があったため、武富さんは事前に参考資料としてもらっていた前回授賞式の映像と字幕データを見て番組の流れを確認。そして今回の字幕制作のルールが記載された「指示書」にも丁寧に目を通し、チェックが発生しそうなポイントを頭に入れて準備をした。
また、今回は「誤訳チェッカー」という役割も用意された。武政さんと池田さんは翻訳作業に加えてこの誤訳チェッカーを担当。誤訳チェッカーの役割は、誤字脱字を確認するのはもちろんのこと、原文からの逸脱も確認することだ。
武政さんがチェックを担当した箇所では『ブラック・バード(Black Bird)』で助演男優賞を受賞したポール・ウォルター・ハウザーのスピーチがあった。スピーチはラップ調で韻を踏んでおり、テンポよくラップ特有のリズムでスピーチをしていたため情報の取捨選択が肝だと感じたという。また、チェック業務でも裏取りの大切さを感じた。
「『greatest gift』と話している箇所があったのですが、リサーチをすると息子さんの話だと分かりました。チェッカーとして原文把握はもちろんのこと、情報の確認もやっぱり大事だと思いましたね」(武政さん)
翻訳とチェッカー。2つの異なる役割を兼任するのは大変そうに思えるが、実は相互のメリットも多い。池田さんはチェッカーとして自分が担当していない翻訳パートを見たことで発見があったという。
「翻訳時は時間的に他のパートにまで気を配る余裕がなかったのですが、チェックで他のパートを拝見したことで細かいワードチョイスなど、『ああした方がよかった』というのが出てきました。やはり全体の流れを把握することが大切だと痛感しましたね。また翻訳を先にやっていたことで授賞式の構成や全体のトーンはつかめていたので、チェック業務にも非常に入りやすかったです」(池田さん)
作業スタートから2日後の夜、すべての翻訳&チェック作業終了!
約2日間をかけて、すべての作業が終了。無事にクライアントへの納品となった。「スピード感がお祭りのようだった」と池田さんが感じたように、大所帯・短時間での翻訳作業は一種のイベントのような雰囲気。一致団結して駆け抜けたことで、独特の達成感と翻訳者としての成長を感じられたに違いない。
JVTA映像翻訳ディレクター・岩崎悠理より
エミー賞のような短納期・長尺の翻訳は大所帯なチームでの作業となります。時間との戦いの中、一人ひとりの翻訳者さんにはスピーディーで柔軟な対応が求められます。今回チームの皆さんは自分の担当箇所をこなすだけでなく、パートを超えて知恵を出し合ったり連携を取ったりして進めてくださったのがすばらしかったです。緊張感のあるハードな作業ですが、こうして全員で作り上げた字幕が完成した時にはこの上ない達成感と感動が味わえます。
第75回エミー賞の字幕版はU-NEXTにて現在も独占配信中。詳細は▶こちらからご覧ください!
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