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【スタッフコラム】Fizzy!!!!! JUICE #52 ~ドジャースと日本人~アイク生原と大谷翔平●筆谷信昭(取締役 兼 LA現地法人代表取締役)

【スタッフコラム】Fizzy!!!!! JUICE #52 ~ドジャースと日本人~アイク生原と大谷翔平●筆谷信昭(取締役 兼 LA現地法人代表取締役)

2024年の大谷翔平の活躍は想像を遥かに越えるものだった。右腕のリハビリ中ゆえ二刀流でなく指名打者専任だったが、MLB(メジャーリーグ)史上初の50-50(50本塁打50盗塁)、ワールドシリーズ優勝、両リーグを跨いでの2年連続3度目のMVP受賞。ここまでの結果を真顔で予想出来た人はいなかっただろう。
そんな大谷の大活躍で、野球に興味のなかった人、特に女性や若い世代が、野球に関心を持ってくれるようになったのは長年の野球マニアとしては嬉しいし、出来ればそこからドジャース、MLB全体やその歴史にも関心を広げてもらえたら、と願っている。

NPB(日本のプロ野球)と比べ、MLBは歴史にとても敬意を払っていると日々感じる。
思い出せば1年前、大谷翔平の入団会見の冒頭でも、フリードマン編成部長がアイク生原氏の名前を挙げてくれていた。

「ドジャースは、日本と長くそして豊かな歴史がある。ウォルター・オマリーとアキヒロ・アイク・イクハラから始まり、最終的にヒデオ・ノモ、ヒロキ・クロダ、ケンタ・マエダ、数え切れないほどの選手の入団につながった」

野球ファンでも野茂、黒田、前田の名前は知っていても、アイク生原氏をご存じの方は少ないだろう。しかし、アイクさんは、間違いなく日米の野球交流に最も貢献した日本人の1人で、彼の名が会見で語られたことには大きな意義があったと思う。

名前から日系人と誤解されがちだが生粋の日本人で福岡県出身。早大卒業後、亜細亜大学野球部監督を経て1965年に渡米。ロサンゼルス・ドジャース当時球団オーナーのウォルター・オマリーの息子ピーター・オマリーの下、無給のインターンとしてクラブハウス係として働くことから彼のアメリカでの野球人生は始まった。
英語もまだ十分に話せず雑用ばかりの日々。毎朝4時半から深夜まで猛烈に働いた。アイクさんは「日本人である自分が実力社会の米国でやっていくためには、球団にほかの人間より役に立つと思われなければダメなんだ」と語り、その勤務スタイルを続けていた。

やがてピーター・オマリーがドジャースの副社長に就任すると、アイクさんもそれに従ってドジャースのフロントで働くようになる。が、猛烈な仕事ぶりは変わらず、そんな熱心で誠実な貢献が認められ、ピーターの秘書、さらにオーナー補佐・国際担当の要職に就き、“野球の国際化”のため世界中を飛び回った。
特に日本との関わりは長く深く、巨人や中日のベロビーチキャンプ実現の便宜を図ったり、日本のプロ球団から送られてくる野球留学生の面倒を見るなど、アメリカにおける日本人選手の父親的存在として知られていた。50歳まで現役を続けた中日ドラゴンズの200勝投手山本昌も「アイクさんがいなければ今の自分はなかった」と常々コメントしている。

1992年10月、残念なことに野茂のデビューを見ることなくアイクさんは逝去、享年55才。彼のお墓はロサンゼルス郊外のオマリー家代々のお墓の隣にある。
かつてのイチローや今の大谷翔平、山本由伸らのような高額の収入を得ることはなかったアイクさんだが、アメリカ社会の中で誰もが認める働きをし、野球における日本との架け橋の役割を果たし、後進の人たちに大きな影響を与え続けた。これもまた“アメリカンドリーム”と言えるだろう。

アメリカに留学する人や仕事で関わる人たちには、偉大なる先人、アイクさんのことを知って欲しいと願っている。

仕事柄アメリカにはよく行くので、現地の米国人の野球マニアと会話する機会も少なくないが、やはり歴史も知っていると話も広がるし共感も出来る。アイクさんを知ってる方もたくさんいたのには驚いた。

最後に、先に述べた元中日ドラゴンズの山本昌の言葉を引用したい。
異国での逆境でも諦めずに常に地道な努力を重ねた人だからこその叱咤激励が大投手の原点となっていた。

「アメリカに島流しになって、自暴自棄になっていた僕に野球に打ち込むことを教えてくれた方です。
(中略)
ある試合、僕は同点の延長10回から登板させられ、14回までなんとか無失点で投げたのですが、15回にはランナーを出して無死満塁に。苦しかった僕は、『次の一球でサヨナラ負けか』と、そのゲームを諦めたんです。すると、通訳としてベンチ入りしていたアイクさんがピッチングコーチとともにマウンドに駆けてきて、アイクさんの顔を見た僕は『すいません』と、情けない顔で頭を下げました。すると、アイクさんが太い声で『ヤマ、何を言っているんだ!まだ終わったわけじゃないぞ!』と。その声で僕は目が覚め、集中力を取り戻し、その回をなんとか無失点で切り抜けるんです。
そして、1軍で投げるようになった後も、苦しい局面で『諦めるものか』と胸の奥で呟きました。その度に、耳の奥でアイクさんの『ヤマ、まだ終わったわけじゃないぞ!』と言う声が聞こえましたね。
(中略)
あの時にアメリカへ行かなければ、そしてアイクさんに出会わなければ、その後の投手人生はありません。あの屈辱、焦燥、孤独を抱きながら、アイクさんの教えに食らいつき、投げた時間が僕の土台を作っています。」


参考記事:

50歳現役を叶えた運命の出会いと 崖っぷちで掴んだ最強の武器|元中日ドラゴンズ 山本 昌|小松成美が迫る頂上の彼方(SUPER CEO)
 
日本とドジャースの縁つないだ先駆者アイク生原さん 野茂がパイオニア、大谷と山本が系譜引き継ぐ(日刊スポーツ)


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Written by 筆谷信昭

ふでたに・のぶあき●日本映像翻訳アカデミー取締役 兼 JVTA, Inc (ロサンゼルス現地法人)代表取締役

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