修了生の小松原宏子さんに聞く 児童書翻訳のヒント!
Q&Aで展開する知識絵本「ひかりではっけん」シリーズの第4弾『みえた! うみべのいきもののひみつ』(くもん出版)が6月末に発売されました。このシリーズは絵の後ろから光をあててみると、さまざまなものが浮かび上がる仕掛けになっており、世界15カ国以上で340万部の売り上げを記録。日本語版は、2018年から発売されており、翻訳を修了生の小松原宏子さんが手がけています。
小松原さんは、映像の翻訳のほか児童書の作家として活躍され、『ぼくの朝』で第13回小川未明賞優秀賞を受賞。児童書の編訳や翻訳なども数多く手がけてきました。「ひかりではっけん」シリーズは、海外版を読んだ彼女が「ぜひ日本語版を出したい」と自ら出版社に提案して、発売が実現しました。(シリーズ第1弾、第2弾の発売時のインタビューはこちら)3歳以上を対象にした絵本の言葉選びは大人向け以上に難しいそう。具体的に話を聞きました。
修了生・小松原宏子さん
◆大人も学べる科学絵本
第4弾『みえた! うみべのいきもののひみつ』には、タコ、イカ、ヒトデ、イソギンチャク、ラッコなど多くの海の生き物が登場します。存在は知っていても詳しい習性は知らないもので、例えばタコが身を守るために岩などに似た色に皮膚の色を変えられることや、ミヤコドリという鳥が東京湾に沢山いること、潮の満ち引きによってできる水たまりを潮だまりということなど、私自身も初めて知ったことが多かったですね。知人からも同じ反響がありました。このシリーズは科学絵本なので、これまでも身体のしくみやジャングルの奥、恐竜をテーマに大人も学べる知識が満載で、4冊とも調べものはもちろん、訳すのがとても大変でした。毎回、さまざまな専門家の方にお話を伺っています。今回の監修はしながわ水族館にお願いしました。まずは絵本の原文を全訳したものを編集担当者が水族館に送って間違いがないかを確認していただき、その後に飼育員さんにインタビュー。生き物の生態などについて、誤訳しないように細かく教えていただきました。
◆鳥は恐竜の子孫?!
シリーズ3冊目の恐竜の時は、リサーチで福井県立恐竜博物館に行きました。立体的な姿を見てイメージを膨らませ、展示物についた解説のプレートを見て訳語の参考にしました。こういう博物館は子どもからお年寄りまで幅広い人たち、誰もが分かりやすい言葉になっているからです。ただ、漢字にフリガナがふってある表記が多く、ほぼ平仮名で表記しなければいけない絵本はさらなる難関でしたが…。
数年前、羽毛の生えた恐竜の尾が琥珀の中に発見されたというニュースがありました。実は、私もリサーチの中で現代の鳥は翼竜の子孫と知ったのですが、すると恐竜に毛が生えていてもおかしくないのかなと。こういう知識を子どもの時に絵本で知ることができたら楽しいですよね。実際、第3弾の恐竜は特に人気が高く、反響が大きいそうです。
◆絵本の翻訳は吹き替え翻訳に似ている
絵本を翻訳する難しさはやはり、漢字を使えないこと。動物の解説は「○○類」など漢字を羅列した専門用語が多いのですが、読み方が正しく分からなくても字面でなんとなくイメージが湧くでしょう。でも平仮名にすると、絵が理解の助けになるとはいえ、思いのほか伝わりません。例えば恐竜に出てきた「アーケオプテリクス」は「始祖鳥」(しそちょう)と呼ばれ、現在の鳥の先祖なのかどうか今も研究が続けられています。漢字なら意味がすぐに分かりますが、平仮名だと難しいでしょう? これは字面に頼れない吹き替え翻訳のスキルに通じるところがあります。吹き替えも音だけで聞くので同音異義語や、4文字熟語など耳で聞いてもピンとこない言葉があったりしますよね。字面がない状態でそれをいかに分かりやすく表現するかを考える。それが、ひらがなだけで読ませる表記作りに似ているんです。句読点よりもスペースを入れて文節を区切ったり、使えるところでカタカナを入れたり、傍点などの記号を使ったりと工夫しています。
◆オノマトペを楽しく使いこなす!
絵本には擬音語・擬態語がよく使われていて、その工夫も翻訳者の腕のみせどころです。
今回工夫したのも絵に添えられたそんなキーワードでした。英語は擬音語、擬態語が日本語ほど豊かではないので、原書では名詞や動詞、形容詞などもありますが、それを楽しい表現に翻訳していきます。
ムラサキイガイが貝をあけて食事をする「bubble bubble」は「ブクブク… ブクブク…」
フジツボがプランクトンを食べる「flutter flutter」は「おいで~ おいで~」
ヒトデが張り付く「hold tight」は「ぺたっ」
ラッコがウニを食べようと、トゲトゲに手を伸ばす「ouchi」は「チクッ!」
イソギンチャクが触手を伸ばす「stretch stretch」は「そ~れ!」
(※触手が手をふってるように見えるから)
こんなふうに子どもたちの興味を惹きつける言葉を探しました。
◆英語原文のheとsheは翻訳者泣かせ
以前、詩人で翻訳者のアーサー・ビナードさんの講演に行ったとき、「日本語には男女の区別がないから困る」と話していました。例えば絵本で「迷子の子猫ちゃん」や「犬のおまわりさん」が出てきた場合、次のページからheなのかsheなのか分からない。つまり、英語では動物でもhe やsheにするのが一般的ですが、日本人はオスかメスかを考えずに動物の絵本を読んでいるわけです。逆に私たち児童文学の翻訳者が一番困るのが、このheとsheの訳し方。子どもの本には「彼」とか「彼女」という言葉は基本使えません。そもそも日本語は主語を省略できるし、日本語で児童書を書く場合、はじめからheやsheは使わずに書きます。ですから英語で、he 、she、 itを連発されると訳す時にいかにこの代名詞を使わずに訳すかが一つのテクニックになるのです。どうしても出す必要がある時は名前を出すようにしています。
◆イマドキの子どもは「ぼく」や「わたし」と言わない?!
一人称はもっと大変で、「I」をどう訳すかは大問題です。私は自宅で家庭文庫を開放し、本の貸し出しやお話し会などをしており小学生と話す機会が多いのですが、今どきの子は友達と話す時に「僕」や「私」という子は少ないんですよね。男の子は「おれ」(「お」にアクセント)女の子は「うち」「あたし」もしくは「自分の名前」が多い。でもそのまま活字にすると「おれ」になってしまい、ニュアンスが変わってしまいます。また、友達のお母さんも「おばさん」とは言わずに「○○ちゃんママ」と呼んだりします。そういう意味では昔の絵本とは言葉が変わってきていて、今の子どもにとって自然な訳し方は意外と難しいのです。
◆児童書でも新訳が人気 時代で変えられるのが翻訳の魅力
実際、「長くつ下のピッピ」や「星の王子さま」「赤毛のアン」といった名作の児童書も新訳版が発売されています。大人は多少言い回しが古くても「書き言葉だから」と許容できても、子どもは知らない言葉だとお話に入っていけないので、これは自然な流れだと思います。私も個人的には自分が親しんできたオリジナルの訳が好きですが、今の子どもに贈るなら読んでくれないかなと。
古い作品も新しい感覚で作り直せるのが翻訳ならではの面白さでもあります。太宰治や夏目漱石の名作の場合、古い表現だからといって勝手に現代の言葉に書き換えることはできませんが、洋書の翻訳版なら翻訳者のクレジットを入れればある程度自由な表現が可能です。これはドラマや映画の吹き替え版にもよく言われることで、語尾の「だわ」「~よ」「~ぜ」などの男女の差もなくなりつつあります。児童書の場合はより時代にあった言葉選びが求められるのではないでしょうか。
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「このシリーズは、光で照らすというアイデアだけでなく、専門的な知識が得られる素晴らしい解説があるからこそ、世界中で愛されているのだと改めて感じました」と小松原さん。
皆さんもぜひ、手に取ってみてください。
ひかりではっけん みえた! うみべのいきもののひみつ
作:キャロン・ブラウン 絵:アリッサ・ナスナー 訳:小松原宏子
発行:くもん出版
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