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文化を正しく伝えるために 映像翻訳者に求められる「リサーチ力」

文化を正しく伝えるために 映像翻訳者に求められる「リサーチ力」

字幕翻訳や吹き替え翻訳と聞くと、一般的に映画やドラマの翻訳というイメージが強い。JVTAで映像翻訳を学ぶ受講生も、「映像翻訳に興味を持ったきっかけは映画やドラマである」という人が多くいる。

しかし映像翻訳は、実は非常にバラエティに富んだ仕事である。映画やドラマの他にドキュメンタリー番組、スポーツ番組、お笑い番組、バラエティ番組、さらに企業のPR動画の翻訳と、そのジャンルは幅広い。「映像」であれば、あらゆるものが翻訳対象になるのだ。

そんな幅広い映像翻訳の仕事のひとつとして、近年JVTAが担当しているのが「VR動画のナレーション翻訳」である。先日、JVTAがナレーションの英語翻訳を担当したVR作品『金峯山寺』(以下、『金峯山寺』)が公開。先だって関係者向けの上映会が行われた。

『金峯山寺』は、奈良県吉野郡にある金峯山修験本宗の総本山、金峯山寺の本堂である国宝「蔵王堂(ざおうどう)」と、秘仏本尊である重要文化財「金剛蔵王大権現立像(以下、蔵王権現立像(ざおうごんげんりゅうぞう)」をデジタルアーカイブした映像作品である。印刷テクノロジーをベースに「情報コミュニケーション事業分野」、「生活・産業事業分野」、「エレクトロニクス事業分野」の3分野にわたり幅広い事業活動を展開しているTOPPAN株式会社が金峯山寺の協力のもと製作したもので、同社が有するデジタル技術によって蔵王堂と蔵王権現立像をVRで再現。通常では見ることのできない角度や方向からの鑑賞を可能としている。

VR作品『金峯山寺』
製作協力:金峯山修験本宗 総本山 金峯山寺 製作著作:TOPPAN株式会社
※本尊の蔵王権現は秘仏のため特別御開帳期間(不定期)以外は非公開

JVTAは本作のナレーションの英語翻訳を担当。JVTA修了生であり講師も務める足立リリーさんが翻訳し、同じく修了生のゲバラ・カサンドラ (キャシー)さんが翻訳チェッカーとして携わった。

英語版を制作することについて、TOPPAN株式会社のVR監督である 黒田敏康氏は次のように語った。

「弊社では『海外の方にどのように鑑賞してもらうか』『どのように日本の価値を選んでもらうか』を考えて英語版制作を行っています。
私は英語版というのは、日本語版をそのまま翻訳する事ではないと考えます。日本人の内面には、日本人だからこそ無意識に持っている日本の価値観や文化観、さらには心のDNAのようなものがあり、私は作品を日本人に向けて日本語で製作しています。
であれば本当は、英語版は英語圏の人たちの価値観や文化観をきちんと見つめ、日本語版とはまったく異なる考証や構成で物語を書くべきなのです。監督も翻訳者も文字を追っているだけではダメなんです」(黒田敏康氏)

翻訳を担当した足立さんは2015年から現在まで、TOPPAN株式会社と東京国立博物館が共同運営するTNM & TOPPANミュージアムシアターで公開されてきたVR作品20作品以上の英訳に携わっている。東京国立博物館が所蔵する名品から『東寺』、『法隆寺』、『鳥獣戯画』など、様々な題材に触れてきた。

ベテランの翻訳者であってもすべてのジャンルに精通しているわけではない。海外で生まれ育った足立さんは、寺社仏閣や仏教、仏像の知識が元々豊富だったわけではなかった。しかし足立さんは、「プロの翻訳者である以上、それは言い訳にすぎません」と言い切る。

金峯山寺は修験道の根本道場(修行の中心となる場所)だ。足立さんはまず、この修験道を理解することから準備を始めた。その後、英語のプロが「修験道」をどのように説明しているかを百科事典のオンライン版で勉強し翻訳に取り組んだ。

「翻訳者にとって、『知らない』を『知っている』に変える作業が難しくもあり、最も大切な任務」。そう語る足立さんは、様々な方法を駆使してリサーチをおこなう。講談社の『英文日本大事典』やEncyclopedia Britannicaのオンライン百科事典で日本に関する総合的な事柄をリサーチし、寺社仏閣の建築に関する用語が出てきた際は建築用語辞典で確認することもある。クライアントから提供された資料だけでは状況や詳細が確認しづらい場合は、ネットにアップされている観光客が撮影した画像や動画も参考にする。

数々のVR作品の翻訳経験を通して、日本の文化とそれらを取り巻く価値観についての知識を深めてきた足立さん。その経験があったからこそ、『金峯山寺』の翻訳に取り組むことができたと強く語った。

リサーチが必要なのは翻訳者だけではない。「内容をきちんと理解してから翻訳のチェックをする必要がある」として、翻訳チェッカーのゲバラさんもリサーチに時間をかけた。

今回の作品では、「釈迦如来」、「千手観音」、「弥勒菩薩」などの仏教に関する名称が数多く登場する。ゲバラさんが調べると様々な訳語が見つかり、今回の動画にはどの訳語が最適かを考える必要があった。例えば釈迦如来であれば「Shaka Nyorai」「Shakyamuni」「Shaka Buddha」のように、日本語、サンスクリット語、日本語と英語が混ざった表現があったという。最終的には足立さんが翻訳した訳語が金峯山寺のサイトにおける表現に沿っていることを確認し、その表現が適切だと判断。隅々までリサーチをした上で正しい解釈なのかを確認し、誰が見ても理解できる英語として完成するように心がけてチェックを行った。

JVTAの映像翻訳者育成コースでは、リサーチに関わるスキルを「取材・調査力」として映像翻訳者に必要な6つの資質のひとつに考えている。足立さんとゲバラさんの本作への取り組み方からも、翻訳においてリサーチがとても重要であるということが分かる。機械翻訳の精度向上により、映像翻訳の分野にも機械翻訳の導入が進んでいる。しかし丁寧なリサーチを重ね、一つひとつの訳語に責任を持つことは、人間の翻訳者だからこそできる仕事である。

VR作品『金峯山寺』は、TOPPAN株式会社がデジタル技術を活用し新しい文化財の鑑賞体験を提案する施設「デジタル文化財ミュージアム KOISHIKAWA XROSS®」で上映。全長20m、高さ5mの大型スクリーンで見る映像は臨場感たっぷりだ。壮大な吉野山の風景や迫力ある秘仏が目の前に迫ってくる映像を通して、1300年続く修験道の祈りをも感じることができるだろう。

一般公開は2024年10月5日(土)より、土曜日、日曜日、および土日に続く祝日で行われる。上映時間や予約詳細はTOPPAN株式会社のウェブサイトで確認できる。
※通常は日本語版で上映。英語版上映については問い合わせを。

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