マドンナのニュー・アルバム『マダムX』の歌詞対訳をJVTAが担当 3人の翻訳者を悩ませたのは?
マドンナのニュー・アルバム『マダムX』の歌詞対訳をJVTAが担当しました。4年ぶり14枚目の新スタジオ・アルバムのコンセプトについて、マドンナはこう語っています。
「マダムXは、アイデンティティを変えながら世界中を旅し、自由のために闘い、暗黒の世界に光をともすことを使命としたスパイ。マダムXは愛の館に住み、時にはインストラクター、教授、国家元首、家政婦、騎手、囚人、学生、母、子供、教師、修道女、歌手、娼婦に偽装するスパイなの…」
2年前からポルトガルのリスボンに暮らしており、現地の音楽から影響を受けたというマドンナ。今回は、アフリカ系ポルトガル人のミュージシャン、ディノ・デ・サンティアゴが制作に協力しています。また、コロンビア出身でレゲトンのマルーマ、ヒップホップのスウェイ・リー、ブラジルの新星アニッタなど20代前半の若いアーティストとも共演し、ラテンのテイストも取り入れた1枚となっています。
※初回限定版
MTCの屋舗桂子ディレクターによると、翻訳作業時にはオリジナルの歌詞テキストがなく、聞き起こしから作業がスタート。英語は修了生で日英映像翻訳科の講師も務める横山治奈さんが聞き起こした後、小池綾さんが対訳。さらにポルトガル語・スペイン語部分の聞き起こしと対訳は中井ミリーさんが手がけました。
実は、アルバムに必ず歌詞カードをつけて発売するというのは世界でも希なことで、アメリカでもすべてのアーティストのアルバムに歌詞カードがついているわけではないそう。今回は大物アーティストのアルバムということで、聴き起こし作業は都内の某所で行われました。
歌詞対訳に携わった3人の修了生に話を聞きました。
修了生で講師も務める横山治奈さん(英語歌詞の聞き起こしを担当)
◆現場での聞き起こし作業は初体験
今まで何度か歌詞の聞き起こしを担当し、データをダウンロード、またはCDの郵送や手渡しはありましたが、現場での作業は初めてでした。フリーランスの翻訳者は自宅にこもりがちなので、現場のお仕事は新しい場所に行き、いろいろな人たちに会えるので、良い経験になります。
現場では1人で小さな部屋にこもり、18曲にある英語の聞き起こしをしました。マドンナの歌声は比較的聞き取りやすく、ラップもなかったので難しくは感じなかったですが、歌声を加工された曲は聞き取りにくく、その点では苦労しました。また、他の言語が混ざっている曲に関しては、「これって何語?」と、どこの言語なのか判別できないものもありました。
◆発売前の作品こそ調べものが重要
一番辛かったのは曲の解釈です。作業は4月でアルバムのリリースは6月。極秘プロジェクトのため、ネットで検索してもミュージックビデオや曲・アルバムに関しての記事や解説は何も出てきません。実際、歌詞対訳の場合、アルバムのテーマすら分からぬまま作業することも多いのです。
そこで今回は、マドンナとコラボしているアーティスト(バックグラウンド、恋愛事情、政治的見解ほか)を調べるなど、できるだけの情報を取り入れてから聞き起こしに取り組みました。マドンナは特に社会問題などを歌うことで有名です。最近話題のニュースなどを頭に入れ、何を訴えたいのかなどを想像しながら作業をしました。
「God Control」や「Dark Ballet」のミュージックビデオなどを今見ると、やはり銃規制問題やセクシュアル・マイノリティ、ME TOOなどに関する内容になっており、ナレーションとテロップ付きのストーリー仕立て。聞き起こし作業をしている時は、ナレーション抜きで、もちろんテロップなどなく歌詞のみです。「これがあったら解釈に困らなかったのになぁ~」と思いながら見ています(笑)。
翻訳・通訳、そして聞き起こしに関しては、発売前や情報解禁前の作品こそ、しっかり調べものをすることが大事なのだと改めて実感しました。
修了生・小池綾さん(英語の部分の歌詞対訳を担当)
◆“クイーン・オブ・ポップ”の新作に携わり、心が震えた
マドンナといえば幅広い世代から支持されている世界的アーティストで、ショービズ界の頂点に君臨する “クイーン・オブ・ポップ”です。私自身もマドンナが好きで以前からよく音楽を聞いていたので、今回のお仕事を頂いた時は嬉しくて心が震えた反面、自分にこの仕事が務まるだろうかとプレッシャーも感じ、気を引き締めて仕事に臨みました。
◆“音源を聴けず文字だけ”の歌詞対訳に戸惑う
この案件は音源が社外秘扱いだったためクライアント様のオフィスに赴かないと音源が聞けず、私はスケジュール的に難しかったので音源を聞くことができない楽曲がいくつかありました。文字だけで歌詞対訳を行うのは初めてだったので少し戸惑いましたが、まずは何も考えずに聞き起こされた詩を読んでみることにしました。曲全体の雰囲気やコンセプトを掴む助けになったと思います。また、発売に先駆けてマドンナ自身がSNSで様々な映像や情報を少しずつ公開していたので、それらも駆使してアルバムや曲の雰囲気をできる限り掴むよう努めました。
◆英語と多言語の掛け合いで意識したのは2人の距離感
今回のアルバムでマドンナは様々な国籍のアーティストとコラボレーションしているのですが、コロンビア出身のマルーマとコラボした曲は特に訳出が難しかったです。他言語の聞きおこし担当の方が聴いてもわからない言い回しが含まれており、最終的にはネイティブに確認を行って訳文をいただきました。上がってきた訳文と、マドンナが歌う英語の部分がちぐはぐにならないよう、曲の中での2人の距離感やトーンに気を配りながら歌詞にする作業を進めました。
◆アルバムの世界観に深く深くダイブする
音楽がないと生きていけない私としては、歌詞対訳はずっと挑戦してみたかった分野ですが、実際にやってみると字幕翻訳とは違う難しさがあると感じています。歌詞対訳は字幕翻訳のように字数制限や細かなルールはありませんが、自由であるが故に表現力が問われます。アルバムの世界観を余すことなく伝えるには、そこに深く深くダイブして、アーティスト自身のことや曲の裏側にあるストーリーを理解しなければなりません。同時にそれを言葉にするための豊富な引き出しが必要です。字幕翻訳と同じく、様々なジャンルに触れて感覚を鍛えておくことが表現力を高める助けになると感じています。普段聴く音楽はロックが中心ですが、『マダムX』の歌詞対訳を行っている間はマルーマのおかげもあってレゲトンにハマっていました。おかげでレゲトンやラテン系の音楽について知識が増えました。歌詞対訳を通じて新しい音楽に出会えることも、この分野の魅力の1つではないかなと思います。
◆メッセージ性が高く、非常に聴き応えのある1枚
世界を代表するアーティストのアルバムで歌詞対訳を手がけられたことは本当に誇りです。苦労した点も多かったのですが、発売された時はそれ以上に大きな喜びを感じることができました。CDを手に取って、歌詞と合わせて初めて曲を聴いたのですが、文字だけ見て対訳を行った歌詞が曲の雰囲気とマッチしていた時はとても嬉しかったです。『マダムX』はメッセージ性が高く、非常に聴き応えのある作品です。夏にピッタリのアップテンポな曲も含まれていますので、ぜひ手に取って聴いていただけたらと思います。
修了生・中井ミリーさん(ポルトガル語・スペイン語部分の聞き起こしと対訳を担当)
◆コロンビア出身マルーマのスラングに苦しむ
今回、母国語のポルトガル語部分は問題なく聞き起こせましたが、スペイン語部分でどうしても聞き取れない部分があり、これはマドンナとデュエットで歌うマルーマがコロンビア出身のため、現地特有のスラングや言い回しがあるのだと考えられました。ちなみに昨年、マルーマと同じコロンビア出身で、現在話題のジャンル レゲトン Reggaetón シーンを牽引するアーティスト、J. バルヴィンのアルバムも手がけましたが、その際は歌詞カードを渡され、対訳のみの作業でした。今回はその時より苦労しました。
◆知らない単語は聞き起こせない
JVTAで映像翻訳本科の実践コースを受講していた際に聞いた「知らない単語は聞き起こせません」という深井講師の言葉を実感しました。リスニングには様々な要素が絡んでいて(音源の質、状況、背景、経験、知識など)、時にはネイティブであっても何を言っているのか聞き取れない場合があるものです。また、一口にスペイン語と言っても本国スペインのスペイン語(正式にはカスティーリャ語)と中南米のスペイン語(スペイン語を公用語としているのは約20カ国)では、それぞれの国で発音やイントネーション、文法や単語の意味合いが微妙に異なるという事実もあります。素材翻訳(スクリプトのない素材を聴きながら翻訳、正式な聞き起こし原稿の提出は希)やその他の翻訳をするには問題なくても、正確なディクテーション(聞き起こし原稿)が求められるとなると、コロンビアに足を踏み入れたことのない私には一種の限界がありました。通常のリスニング作業には慣れ親しんでいても、スピーチやセリフでなく、歌詞の聴き起こしがいかにトリッキーかがお分かりいただけるでしょうか。そこで、できる限りの事をした上でJVTAのディレクター・屋鋪さまには改めてコロンビア出身のネイティブの手配を提案したというわけです。
◆歌詞対訳の醍醐味は特定の世界のどっぷり浸れること
一方で対訳には、文字数制限も細かいルールも存在しません。しかし作業そのものの自由度は高いぶん、アルバムの世界観に対する理解と解釈、そして表現力が問われます。特定の世界にどっぷりと浸りながらの作業は楽しいですし、やりがいも感じますが、普段の自分や性格とはかけ離れた表現を求める作品だとそれだけ難易度は高くなります。多くの作家が語るように、「自分の知らない世界は描けない」ので。そこを補うためには、よく言われるように、できるだけ多くの異なる素材に触れておくことだと思います。例を挙げると、アルバムの中にブラジルのアニッタという女性アーティストとのコラボ曲がありますが、彼女はちょっと小悪魔的なタイプの女性。一人称に気を遣うのはもちろんのこと、異性に対する媚びと同時にきっぱりとした一面をどう対比させるかという作業は1つの挑戦でもあり、また楽しかったですね。
パワフルで大胆で常に世に何かを問い続けてきたマドンナならではの、ストレートで時には過激な性描写(レゲトンアーティストとのコラボ曲では特に)もチャレンジングな部分でした。クライアントからは「思い切り書いちゃってください」とのお言葉をいただきました(笑)。
◆まずオリジナルの歌詞をじっくり読みこみ、歌い、感じ取る
私が歌詞対訳、それもアルバム全般の歌詞対訳にあたって心がけていることは、作品のキーワードとなる「感情」や「言葉」を、作業を始める際に見つけておくことですね。時には1つのキーワードでなく、フレーズでも沸き起こる気持ちでもいい(深い開放感を感じる、など)。それが、言葉選びや表現の仕方に迷ったときの1つの道しるべになってくれます。ちなみに、今回のアルバムに漂うキーワードといえば、「怒り」でしょうか。
日本と違って海外では歌詞カードがついているとそれだけでプレミアで、対訳カードなどあろうはずもないのが今も常識。洋楽を聴き始めたのは小学校の低学年の頃ですが、当時から曲を聴きながらよく「この部分はどう訳せばいいのかな」、「私だったらここはどんな単語が一番しっくりくるかな」と曲を口ずさみながら考えていたのを覚えています。そうした習慣が自分のリスニング力を磨いてくれた要因の1つだと思いますが、歌詞対訳を目指したい人には、CDの対訳を真っ先に見る前にオリジナルの歌詞を読み込み、歌って(笑)、メロディと一体させてから曲が訴えようとしているものを感じ取ると、意外にも良い訓練になると思います。
ちなみにジョニ・ミッチェルはもう無理でしょうが、いつかケイト・ブッシュのアルバムの対訳ができればなぁ、と密かに願っています。
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60歳を超えてさらに進化し続けるマドンナ。皆さんも歌詞対訳を見ながらその魅力をじっくり堪能してください。
マドンナ『マダムX』
https://www.universal-music.co.jp/madonna/products/uics-1352/
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