ドイツ語の翻訳者、通訳案内士として活躍の修了生・小澤真男さんが書籍を執筆
JVTAの修了生の皆さんの中には、英語だけでなく、学生時代に学んだ原語や仕事で駐在した国の言語など、多言語のスキルを生かして幅広く活躍されている方がいます。JVTAにも観光地のガイドや企業のHPなどを多言語に翻訳する依頼が増えているなか、英語以外の言語を使えたり、その国の文化に精通していたりすることは、翻訳者としての得意分野になります。修了生の小澤真男さんもその一人。IT系の会社で勤務しながらドイツ語の通訳案内士として国内でドイツ語圏の人たちの案内をするほか、ドイツ語の取材映像の翻訳なども手がけています。そんな小澤さんが、ドイツに関する著書「学生運動リーダー、ルディ・ドゥチュケの夢見た1968年のドイツ」を執筆しました。ルディ・ドゥチュケは1968年の西ドイツで社会主義を訴えた活動家。その後のドイツの社会に大きな影響を与えた人物として、小澤さんが20年以上前から強い関心を寄せていたとのこと。小澤さんにお話を聞いてみました。
JVTA 小澤さんが、ドイツ語やドイツ社会に携わったきっかけや経緯を教えてください。
※小澤真男さん
小澤真男さん(以下 小澤さん)学生時代にドイツ語の論理的なところやサッカーが盛んな点からドイツに対する興味を持ち始め、やがて政治や社会にも関心を持つようになりました。ドイツ語の専門学校に何十年も通い、言語を学びました。ドイツ語圏への旅行はもちろん、ドイツ語の書籍を読んだり、ドイツ語圏での絵画やオペラを鑑賞したり、当地でサッカーを観戦したりするのも趣味の一つです。
JVTA 趣味だけではなく、ドイツ語は仕事にも生かされているそうですね。
小澤さん 平日は早朝から夜まで会社のグローバルITプロジェクトで仕事をしています。同僚との会話やメール、文書の翻訳など、現在はもっぱら英語ですが、ドイツ系IT会社勤務の時はドイツ語を使うことが多かったですね。
※通訳案内士として浅草を案内
また、土日や休暇日にはドイツ語通訳案内士としてドイツ語を母国語とする観光客の案内を時おりしています。この国家資格は(残念ながら今年法律が改正され、資格は不要に)1985年に取得し、これまで東京の他にも沖縄は多数回、福岡、鹿児島、神戸も案内しました。主に団体旅行で、1台のバスで40人以上を一度に担当することも珍しくありません。通訳や観光地のガイドだけでなく、時間の管理、食事の手配といった添乗業務も含まれます。ドイツはもちろん、ドイツ語圏のオーストリア、スイスなどからの旅行者もいます。特に人気が高い定番のコースは那覇の首里城、旧海軍司令部壕、東京は浅草などですね。
今年、浅草を案内していた時、ドイツ人の観光客の女性に「あなた、3年前に那覇でガイドしてくれたわね。漢字クイズしたでしょ?」と言われて感激しました。日本が好きになり、リピーターとして戻ってこられたのです。
※通訳案内士として浅草を案内
JVTA それは嬉しい再会、通訳案内士冥利に尽きますね! ドイツ語では番組の翻訳関連の仕事もされているとか。
小澤さん これまで会社の夏休みを利用して、NHKBSの番組でドイツ語映像の聴き起こしと日本語全訳を2件手がけました。
◆『世界で一番美しい瞬間』シリーズのオーストリアでの湖上オペラの回
3時間DVD 2015年夏
※オーストリア訛りで速くとめどなく話されていて7日間で100時間くらいかけて訳しました。
◆『アナザーストーリー』シリーズのナチスの隠し絵画の回
1時間DVD 2017年夏
※今年は旅行でウイーンのベルヴェデーレ宮殿へ
他にも独日のテキスト翻訳をときどきしています。変わったところでは、日本人バレリーナのドイツ留学用のためのドイツ語履歴書作成を数人分、2回にわたって手がけたことがあります。
JVTA さまざまな形でドイツに関わる中で、今回なぜ、書籍としてルディ・ドゥチュケについて取り上げたのでしょうか?
「学生運動リーダー、ルディ・ドゥチュケの夢見た1968年のドイツ」
小澤さん ドイツの政治社会の中でも1968年の学生を中心とした市民の抗議運動は、1989年のベルリンの壁崩壊よりも大きな社会変革を旧西ドイツにもたらしたものです。私は、中でもカリスマ的演説で知られたドイツ社会主義学生同盟のリーダーであったルディ・ドゥチュケに心酔していました。当時から50周年にあたる今年、彼についての本を出版したいと考えました。
JVTA 日本でルディは、あまり知られていないかと思いますが、ドイツではどのような存在なのですか?
小澤さん ドイツでは戦後1949年に、旧東ドイツのドイツ民主共和国(DDR)と旧西ドイツのドイツ連邦共和国(BRD)が設立され、当時9歳だったルディは、時代の波に翻弄されていきます。そんなルディと同じ世代の子どもがやがて学生になり、ナチスに関わった親の世代や権威主義、また旧態依然とした大学への反発やアメリカのベトナム戦争、政府が可決した「非常事態法」などへの抗議を主体とする運動を展開しました。ルディはまさにその若者たちのリーダーであり、そのカリスマ的な演説により、この時代の象徴としてドイツ国民には広く知られる存在です。
※ベルリンの壁
JVTA 調べものや取材など、執筆にあたり苦労した点があれば教えてください。
小澤さん 個人的に25年前位前から非常に興味を持っていたテーマであり、自分のライフワークと考えていたので、今回の執筆のための調べものをしたというよりは、これまでの知識の蓄積を確認しながら書いたという感じです。ただ、以前知った情報を思い出し、裏を取る必要がありました。調べ物は、日本語で学者の方々が書いた本、ドイツ語で書かれた伝記や座談会・インタビュー集などで行いました。英語の書籍については今回使っていません。苦労した点と言えば、ドイツ人以外の人名の発音がドイツ式と原語式とあることが多く、不統一になりがちだったことですが、校正者の調査とチェックに救われました。
※2015年 ドイツのウルム郊外にて
全体的に政治的な内容が多いため、事実確認はもちろん「共謀罪」や「緊急事態条項」といった専門用語なども入念にチェックしました。
JVTA この本の見どころを教えてください。
小澤さん この本では、ルディが1940年に旧東ドイツで生まれたところから、幼少時に戦争に巻き込まれていく生い立ちから、戦後に図らずも西ドイツに渡り、ベトナム戦争やベルリンの壁建設などに議論を唱え、学生運動のリーダーになっていく姿を時系列で追っています。みどころと言えばやはり、この抗議運動が68年頃のドイツ社会や政治、価値観を決定的に変える役割を果たしたことと、日独の学生運動のその後の大きな差を論じた第3章でしょうか。ルディは社会学者ですが、哲学者の知り合いが多く、思想的な部分はやや難解かも知れません。個人的には、ルディたちの運動の後、ドイツでは二人称の使い方が変わっている点にも注目しています。
JVTA 「二人称の使い方が変わった」とは具体的にどういうことなのでしょう?
小澤さん ドイツ語では、二人称としてがSieとdu(複数はihr)の2つを使い分けします。前者Sieは「あなた」と訳されることが多く、目上の人や初対面の人、通りすがりの未知の人に対して使われます。これに対して、後者duは「君、おまえ」と訳されることが多く、家族や友人、子どもに対して使われてきましたが、親しくなると会社の同僚等でもduを使います。
※イメージ
しかし、ナチスの時代に軍隊はもちろん父親に対してもSieを使うことを強制されたことへの反発から、この68年頃から特に若者の間では、初対面であってもduを使うことが多くなったのです。
実際に私がドイツに研修に行き、他の会社の人と一緒になった時も、最初に口を利く瞬間から予想通りduが使われました。これに対して、インストラクターには予想通り皆Sieを用いていました。
JVTA 言葉の使い方を変えるほど、ドイツの社会には大きな影響を残した人物なんですね。出版後、読者からの反響は何かありましたか?
小澤さん 主人公ルディの解説や年表には、社会主義ドイツ学生同盟(SDS)や、社会民主党(SPD)、議会外反対派(APO)などアルファベットの3文字省略形が頻発します。こうした一覧表、及びルディ・ドゥチュケに関する年表があるともっと読みやすいと具体的な声をもらいました。自分がよく知っていることを知らない人たちに分かりやすく伝えるのは難しいと改めて思いました。この本が、日本でルディのことを知ってもらえるきっかけになったら嬉しいですね。
※ベルリンのブランデンブルク門
また、知人によって、68年当時まさに抗議運動の舞台であったベルリンに留学されていて、現在もベルリン在住の日本人の学者の方にこの本を紹介いただきました。「ジャーナリストでない人がこういう本を書くのは珍しい。今度来日する際に会いたい」との言葉を聞き、感激しています。
JVTA 私も今回、初めてルディの存在を知りました。この本がまた新たな出会いに繋がりそうですね。ありがとうございました。
◆『学生運動リーダー、ルディ・ドゥチュケの夢見た1968年のドイツ』
小澤真男著 文芸社 1,100円+税
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